カテゴリ:essay
もう5月もすぐに終りだ。こう書いて思い出したことがある。同人誌への原稿をまだ一行も書いていなかったということ。締め切りは15日だったはずだが、みなさん慣れているから何も言ってこないのだろうか。
政治経済ともいやなことばかりが続くけど、ぼくは生きなくてはならない、そういう思いばかりが強い。何のため?といわれたら困るけど。 ある雑誌の6月号に書評を書いた。まだ出てないけれど、もうすぐ出る。それがどうしたということではないが。 職場では中間試験が終り、今その採点に追われているところだ。すべてが最後だという意識のなかで、どこか遠くに自分を見るような感じ。 すっかり心は晴れたというわけではないけど、いやいつまでも多分晴れないけど、空は晴れていて、五月のまばゆいばかりの美しさを取り集めている。そういうことだ、So it goes! 昨日は新宿の京王プラザの42階に数時間存在していた。ある大学の入試説明会というものに出席したのだ。42回から真正面に見る、これも巨大な都庁の醜さに感じ入った。よくもこういうものを造ったものである。 帰りに、紀伊国屋で本をひやかし、そのあと駅前のビヤホールで、ハーフ&ハーフを2杯飲む。気持がすっきりした。群衆のなかの孤独。 なかなか自分の本をまとめることができないでいる。連休中と思ったが、過ぎてしまった。5月中と思ったが、もうあとがない。いつまとめて、出版にこぎつけることができるのかおぼつかない。 今日のテレビニュースで、都のオリンピック誘致の宣伝マンに、柔道の山下、野球の星野、それに有森裕子がなっていて、石原のとなりに立って撮影されているのを見た。前2者はどうでもいいけど、有森はもっと骨があるはずだから、こんな宣伝「マン」などにはならないだろうと思っていたので、非常にがっかりした。どうでもよいことだけど。 山下は教育国民会議のときにも動員された。この人は一体どういう考えをもっているのか、少し興味があったから、昔、調べたことがあったが、人のいいオッサンにすぎない。 そのことが悪いというのではない。名柔道家がちゃんとした思想家であるなどということは夢想にすぎないということである。 星野のことについては、書くのも気持悪い。できるなら、今、あえいでいる日本野球界の良心的な「改革」などにまず乗り出すべきではないのですか? そのあとにJapanなどと、うかれてください。 「ぼくは忙しい」という命題は何から逃れているのか。格好よくいえば、「真理」から?恰好悪くいえば、「現実」から? 適切な「逃走線」というのがあるのだろうか?その「線」を、折りたたんでみると、にごりと葛藤ととまどいと恥と情けなさと、それに類するすべてが分厚く重なっているのみだ。 それらを「線」にする作業をぼくはしなければならない。透明で涼しい線に、伸びてゆく線に、傷と恥とを。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
May 24, 2007 09:22:22 PM
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