カテゴリ:essay
吊った大臣、飛び降りた理事長、これらの「事件」は後味が悪すぎる。でも、これをこういうふうに(BUSMAN'S HOLIDAY3)書ける人はざらにはいないだろう。まさにその通りである。
それにしても、女房から聞いたのだが、大臣の遺書なるものの文言の最後が「日本国万歳」であったということは、ちょっと首をかしげざるをえないことであった。よく「政界の闇の深さ」などと言われるが、その闇の深さに見合う言葉ではない。完全な思考停止に落ち込まざるをえなかったから自死にいたったのだろうか。これもよくは分からない。 多くの思考停止の「代議士」は他にもいるはず。 こういう話題で書き始めたが、書きづらいことこのうえもない。 五月の終りに、朔太郎の次の短い詩を思い出した。 それは自分が一番好きな五月に、もしかして自分が死んだらどうしようというようなことをうじうじと悩む詩だったように記憶している。今探したが見つからなかったので、こうしか書けない。「もしかして」という強迫観念が実にリアルにとらえられていた。 「もしかして」私が死ぬことになったらどうしよう 一番好きな五月に もしかして本当に私が死ぬことになったら というのは朔太郎ではなくてうろ覚えの私が書いているのだが、これを極端にまで突き詰めていくと、その先に「死」が実現するのだろうか?そういうことはありえない。 書いていることのなかで「死ぬ」こと。それが私にとっての最高の「死」であるような気がするのだが。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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