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詩人たちの島

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May 31, 2007
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カテゴリ:essay
 倉田さんが、5月の終りに素敵な詩の一節を送ってきてくれた。この一編はどこで読めますか?もしかしたらいただいた幾冊かの詩集のなかにあるのでは?


短調よりも長調の曲のほうが好きになってきた
心の密林から救われたいからじゃない
そのほうが悲しみがより高い気がするからだ

きらめく葉に満ちた五月の木のしたを歩くのが好き
人生を終えるならこの季節に死にたい
かぎりなく青い空のもとにただひとつ置かれたベッドの うえで
かすかに流れてくる「Let it be」へ別れを告げながら
 (後略)
(「マイ・フェイバリット・シングス」1995・8)

 
 こういうように言えたら、という思いが痛切に湧くとともに、暗い「心の密林」のなかを最後まで彷徨するしかないのか、などとも思ってしまう。振り払う気力がないのだ。じめっとした「悲しみ」がいつまでもつきまっとている、それがぼくの5月の正体だ。

 この生きづくりにされたからだは
 きれいに しめやかに なまめかしくも彩色されている
 その胸も その唇も その顔も その腕も
 ああ みなどこもしっとりと膏油や刷毛で塗られている
 やさしい5月の死びとよ
 わたしは緑金の蛇のやうにのたうちながら
 ねばりけのあるものを感触し
 さうして「死」の絨毯に肌身をこすりねりつけた。(朔太郎「五月の死びと」)

 このねばりけのある「死」のイメージのなまなましさはまたどうだろう。「緑金の蛇」は生と死のヤヌスの暗喩である。

 流動する蛇のような生と死、再生と死を繰り返しながら、そのエネルギーはいつまでも衰えることがない。そのイメージはしかし、「こすりねりつけた」という能動の動詞とは逆に、そうであるように強いられている生と死の悠久のイメージの片端を感じさせもする。負であるものが奔流のように放電されると、それは愚かにも権力に篭絡されていると見えつつも、それを打ち砕く閃光を放つ、そう言ってもいい。

 「死」を篭絡することが不可能であるなら、「生」もだれも篭絡できない。「緑金の蛇のやうにのたうつ」ものを、きみのこころの密林に住まわしめよ、そこはあまりにもさびしいから。これは私自身に向って命じているのである。






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Last updated  May 31, 2007 09:43:11 PM
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