カテゴリ:essay
同僚の誘いに不義理をして帰った。梅雨の終りのような日だった。相原(哀原駅と私的に名づけているが)で喉の渇きをおさえがたく途中下車する。駅前留学ならぬ、駅前立ち飲み屋「まいど」に寄る。
ずいぶんと混んでいた。Z美大の学生が約10名。そのなかのカップルの隣に「立つ」。とても感じのいい学生たちだった。話が知的で、そのうちわかったことだが二人とも同じ高校の同窓生ということだった。念のために言っておくが、私は旧GDRのシュタージではもちろんない。彼らの屈託のない話が袖すりあう距離から自然に聞こえてくるのだから、盗聴など必要はない。 最初は、この位置取りを悔やんだ。また、バカ学生の聞くに堪えぬ話を強制的に聞かされるはめになったと思ったのだ。それなら、同僚と飲んでくればよかった。ところが、この二人は二人の距離を保ちつつ、それでも結構親密に、二人の趣味(男子学生は室内の装飾に関して、植物を入れるのは嫌だ、壁はむき出しのコンクリートで、家具類は白一色のカラーで統一するなどと言っている、私も、花や樹木派ではない、と女子学生が応える)について語り合っている。それから高校時代の「サイトウ先生」のことを、男子が、「悔いが残るよ、サイトウ先生にはお世話になったのに‥」などと言う。最後に二人で写っている写真を撮りたかったんだ、などと。学校に行けば、と女子学生が答えていた。 私は、いつものようにビールを一杯、つぎに樽ハイ(これはウオッカの焼酎割り)を頼み、おもむろに見通しのいいガラス窓から空を眺めた。うすいとてもきれいなブルーが一面に広がっている。雨を予感させる雲もないのではないが、その雲も一面のブルーに蚕食されている、そう、空の青が雲を蚕のように食っているというイメージが突然私に浮かんだのだ。「なんてきれいなんだ、おれはこういう思いをここ数日、いや数ヶ月味わったことがなかった」。 空の青に見とれている私の耳に隣の男子学生の言葉がまた聞こえてきた。「彫刻科の‥先輩はZ大一番の恰好いい人だよ、見に来てよ、すごいよ、刺青を入れているけど、でもメチャクチャ優しい人だよ」。 「メチャクチャ優しい」という言葉が、私の頭に音楽のように鳴り始めた。その言葉だけが鳴っていた。二人の学生の話を、これ以上聞きたいとは思わなかった。勘定をして、外に出た。クソッ!とか、アア!とか、呟いている私がいるのだった。「メチャクチャ優しい」、なんと素敵で、なんとだらしない言葉なんだろう! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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