詩人たちの島

早期に退職して、今は大学で働いている友人と、例の立ち飲み屋で待ち合わせて、久しぶりに飲んだ。実に胸のすくというかあくというかそういう晴れやかな気分を二人合わせてわずかな出費で味わうことができた。ありがとう、Nさん。

昨日、書いたものに、倉田さんのコメントとは別に、見られるような会からコメントが入っている。検索をかけて、「クローズアップ現代」がヒットしたところに送って来たのかもしれない、そうではないかもしれない。しかし、私は、この会とは全く見解を別にしている。でも、このコメントを消去することはしないでおく。どう考えるか、それを実際に自ら考えなければしかたがないからであり、私の教え子たちで、興味のあるものが、このことをもっと深く考えてくれるだろう、その参考として。

倉田さんの詩は読んだことがある。以下、すべて引用しておく。このすばらしい一編を再び味わう喜びとともに。


A portrait of an artist ―町田にて　　　　　　　　　倉田良成

暗く大きく混乱した廃屋の夜から君は帰ってきた
眼窩から頬にかけてきざまれた深い皺が黄金の傷のように君の顔をくまどる
やいばよりも鮮烈にきらめく太陽はあくまでも甘く南を指せと君に告げるが
夜どおしずぶ濡れになって泳ぎ着いた朝の岸辺は、まだ武装解除をゆるさない
神奈川の北の、小さな町の小さなギャラリーに君を苦しめた声のかたどりはあった
カンバスのなか、君自身をつらぬきとおす鋭い希望の雛形のような

ギャラリーでもてなされた茶はジャスミンの色をしている
カップを持ち上げてみてもなんの重みもない、そんな画廊の斜光のなかで
雨気をはらんだ六月の雲塊が君のはるかな背後を移動してゆくのを見た
濃いブルーのアロハシャツにさんばらの髪、「それじゃあ行きましょうか」と
立ち上がる君は、いままで履いたのを見たことがないサンダルの素足だ
絵のまえを通るとき、パレットナイフで抉られた断面が傷痕（スティグマ）のように濡れたのは錯覚か

殺されることに条理がないのなら、幸福であることにも条理は存在しない
と書いた老音楽家の嘆きについて、桜鍋をつつきながら私たちは語り合った
幻想かもしれないが、わずかに、バッハの作品のなかに条理はあるのかもしれない、
とも、老いた音楽家は言っていて、馬肉ハムを摘む君の顔にも少し光がさす
病んでいるのは私たちなのか、世界か、もう音楽を聴かなくなって永い時がたつ気がする
今宵、蹴飛ばし屋「柿島」ではバベルの民のように酔客が知らない言葉でさえずる

何杯目かの泡盛をお代わりする私と妻に「強いから、気をつけてください」と
店の者が言うのを聞き、君は薄く割った焼酎の酔眼で笑った
酒の飲めない君は、明るい山河のように拡がる人生の休暇をまえにして
どんなまぼろしを飲み干して、深く酔おうとしているのか？音楽を食べ物のように欲し
自らを拒むことによって人を恋うアリアを描く、君の、神奈川の果ての
「暗くて大きさのわからない」アトリエでそよいでいる幾十枚もの野の歌！

ばらばらになったこころをペンキのついた荒縄で縛り上げ、震える旋律で繋ぎ合わせて
君という難破船は、キイキイと鳴く鴎にかこまれた冷たい海に進水する
君と別れる巨きな改札口に慰めの歌は流れないから、せめて
死とは水のごとき交わりをなし、胸元からわずかに覗く華麗なスカーフみたいに
極小の悪徳を武器として、勇気を持って眠りにむかうように
きらめく深夜の太陽を浴びて南へ帰る電車のなかで、私もまた永く病んでいるのだから
　　　　　　　　　　　　　詩集『六角橋ストリート・ブルース』（私家版・01年）より

倉田さんの詩をこうして書き写しているといろんな思いがわいてくる。この散文詩の趣は、今日の私には、ボードレールの詩のように感じられる。現代の誠実な「遊歩者・フラヌール」という思いを禁じえない。