水無月の夏越の祓する人はちとせの命延ぶといふなり(ことわざ?)・今日くれば麻の立ち枝にゆふかけて夏みな月の祓をぞする(藤原季道)
旧暦の話だから、季節感はリアルではないが、とここまで書いて、何がリアルかそうでないか、よくはわからないことを告白する。季節の差違は暦での差違以上に、ぼくらから奪われているのが実情である。一年中が「温暖化」している?
「猿蓑」に水無月や朝めしくはぬ夕すずみという嵐蘭の句があるが、解説によると「甚暑の六月ばかりは日中ぐったりとして夕すずみから生気づき、夜更し朝寝型の毎日だ」とある。ここでの六月は陰暦だから、たぶん今よりはもっと遅くなるのだろうが、この水無月は現在の6月とさほど変わらないようにも感じられる。さすがに、夕涼みというのは、長年の体感がそう許さないのだが。