カテゴリ:書評
天変地異に心身がおかしくなっているのか、いやな思いばかりをさせたり、したりする。落ち込んでしまい、大切な会議もあったのだが、運良く出張と重なっていたので、逃げるようにして職場から立ち去った。出張先でも、なかなか普通の状態にもどれず、最悪の日だった。
昔のことを思い出すのはよそうと思っている。今とこれからしかないのだから。それにしても日々の付き合いで、甘えきった顔や当然のようにこちらにサービスを要求して恥じない発言など聞くと、つくづく厭になってしまう。黙って考える、自分の問題として自分で考える、そういうことのできない連中が多すぎる。思いつきで、こちらのことをなにも考えずに言ったり、書いたりするのも同様だ。じっとしていろと言いたい。じっと耐えて勉強せよ、もっと本を読め、つまらない馴れきった携帯などをいじくりまわす暇があったら。 電車のなかで聞こえる、傍若無人なアホな高校生たちのおしゃべりには胃が痛む。 「うちの学校はオール4の子たちだけど、あのバカ高校はオール2、だから喧嘩を売ってきた」というような内容を、私には再現することのできない、最悪の尻上がりアクセントで語っているのは、どこから、だれが見てもオール4とはとうてい信じ難い4人連れの女子高校生であった。 36年、高校という職場に勤めてきて、私は何か重大な錯覚をしていたのかもしれない。悔しいけど、そう思わざるをえない事態に頻繁に遭遇するのである。引退の年になって、今まで自分がやってきたことが、こうも通用しないというのはさびしい限りである。今になって、自分の無力に直面しても、遅すぎるのだが。(こういう話は書きたくもなかったのだが) 四方田犬彦の『先生とわたし』(新潮社)を読み終わった。これは四方田が師事した英文学者、由良君美と作者の関係を、師と弟子という観点から書き綴った評論とも小説ともつかぬものだが、ここから匂うのは、今の私には耐えられないほどの、文化教養的な、「解釈共同体」的なある時代と生への思い入れである。東大アカデミズムの内情を四方田はもちろん批判もしているが、そこでの異端者としての由良「先生」の在りよう自体が結局は、そういうものを補完するに過ぎないものであったのはではないか、と不遜にも私は考える。 神のような先生、最高で最新の「知」の伝達者であり、伝説的なゼミの主宰者であった先生が実は「傷つきやすい、もろい先生」であったのだというイメージを今の著者が抱くようになるまでの経過が克明にたどられる、その経過が四方田と由良のあいだに起こった数々のエピソードを考え直すことで明らかになるというような書き方である。この解明には現在にいたる四方田の生の、とくにかれも師と同様の大学教師という生の経験が、その積み重ねが大いに影響している、自分も由良先生と同様なことを学生や院生に対して、気づかずしてやってきたのではないか、いい面はとにかく、その悪い面も、というような思い。 この書物の終り近い部分に、「間奏曲」という別章をたてて、四方田は「師と弟子」という関係を原理的に考察している。その参照軸として挙げるのが、はじめて日本に翻訳紹介したのが由良先生当人で、由良もこの人をライバルとして考えていたという文芸評論家ジョージ・スタイナーの『師の教え』(ハーヴァード大学出版・これはまだ翻訳されていない、従ってこれからの引用は四方田の訳である)と、山折哲雄の『教えること、裏切られること』(講談社現代新書)の二冊の本の考えである。私は後者、山折の書くものはあることがあってから一切読みたくなくなったので、この本には言及しない。 スタイナーの本の序文を四方田がパラフレーズしている、そこを引用する。
書き写していて、あまり感じないのはなぜか?なにか違うような思いがする。こういうところから、かつての駒場の異才四方田青年の前に現れた由良君美という「先生」との交わりが考察されるというのは、あまりにも「教養主義的」ではないのか、なんかアナクロニズムを感じる。たしかに著者の由良への思いは全体を通して充分に伝わってくるし、その思い自体の誠実さを疑うことはできない。しかし、率直に言って、「師と弟子」という関係性、いやある関係性を「師と弟子」として考察するという孔子教団的な概念から、われわれはもっと遠くまで来てしまったのではないか。 スタイナーも、フーコーを援用しながら、これら保守的で陳腐な3つの類型に陥るとは。もうフーコーで打ち止めという気がする。山折は言わずもがな。 ここまで書いて冒頭にもどる、ぼくの出口なしの四苦八苦もそれなりに意味があると自分をなぐさめてみたい。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
[書評] カテゴリの最新記事
|
|