すが(糸偏に圭)秀実は『1968年』(ちくま新書・06年刊)で、1968年の学生たちの行動を政治的革命的な意識における決定的な転換点として力説している。まだ読み終わってはいないが、この人のものを初めて読んでいる。総じてジャーナリスティックな報告調の文体だが、自分がそこで生きた時代のルポルタージュとして、こういうこともあったのだという感慨もなきにしもあらずである。
大学は「改革」されるべき対象ではなく、「解体」されなければならない。全共闘の戦術がほとんどすべて「無期限」のストライキだったということも、そのことを明かしていよう。それがたとえ、機動隊や学校当局によって中断されたとしても、教育(=規律/訓練)の装置としての学校は、68年によって決定的な「解体」を余儀なくされて、現在にいたっている。
現代では、学校は規律/訓練の場であることを放棄して、「ゆとり教育」という名の「動物園」と化しているとさえ言ってよい。より具体的に言えば、学校は68年を契機にしてハローワークであることをやめた。1940年代に端緒を持つリベラリズム体制下の68年までの学校は、そこで規律/訓練をほどこされれば、それに見合った労働者=市民としてのパスポートを手に入れることができる場であるという信憑があった。(略)ところが、68年の革命による資本主義の転換は別の体制へと移行を開始するのである。今や、大学・専修学校など高等教育機関への進学者が6割をこえているが、逆に、社会はそうした高等教育を受けた「市民」を大量に必要としていない。
これは、市民社会の基幹組織である学校制度の実質的な解体を意味する。これが、「市民社会の衰退」(マイケル・ハート)にほかならない。その意味で、68年の学生革命は、べ平連的な市民社会に依拠した「市民」運動の思想とは、まったく質を異にするものだったのであり、なおかつ、その後の時代状況を先取りしていたと言える。
ずいぶん乱暴な回顧とそれからする現状認識とも言えるが、(すが)のいう「68年の学生革命」の持つ多様な意味合いも分からないではない。
その時代の渦中を生きたものとして、しかし、ここで取り上げられている主題からはずれて生きたものとして、いろいろ考えさせられる本ではある。でも、当時のアジビラを読むような文章には違和感が残る。