カテゴリ:essay
今日から、講習を始めた。例によって、わけのわからない超!むずかしそうな入試問題だけを選んで、精鋭4人たちと勉強することにする。今日は鵜飼哲の『歓待の思考』から出題した早稲田の法学部の問題を読んだ。出題された部分の文章は、カントの有名な「永遠平和論」(「永遠の平和のために」)の第二章「国家間の永遠の平和のための確定条項を含む」の「第三確定条項、世界公民法は普遍的な好遇についての諸条件に限られるべきである」の引用から始まる。私は河出書房の「世界の大思想13」のカントで確認しながら、これを今書いているのだが、鵜飼の文章では「世界市民法は、普遍的歓待をうながす諸条件に制限されるべきである」となっている。河出の訳者も、あとでは歓待という言葉を使用しているから、「好遇」ではなく「歓待」という言葉にしよう。カントは次のようなことを言っている。
永遠平和のためにありうべき世界市民法が想定されるとしたら、外国人が他国の土地に足を踏み入れたというだけの理由で排除されてはならないし、彼らの歓待を受ける権利を認めるべきであり、それは外国人を迎えるその国の人の義務でもある、そういう条項が必要であるというのである。もっともカントは歓待の権利は「訪問権」に限定し、外国人がその国に滞在する権利、滞在権については「そのためには彼をしばらく家族の一員として扱うという、特別の好意ある契約が必要とされるであろう」と区別しているが。 ここから鵜飼が展開するのは、要するに日本国の出入国管理法の「残酷」さや排外主義的な伝統の批判である。内においてはホームレス、外においては外国人の権利などが依然として国家主権の発動として否定・排除されていること、グローバリゼーションの進行や少子化にともなう労働力不足に付随して起こるであろう「移民」の問題などが具体的・歴史的な場で思考されるうるために、カントのいう「歓待の思考」がぜひとも要請されるというような文章である。 鵜飼の文章とその主張について批評することは講習ではしなかったし、ここでもしないでおく。 カントの「訪問権」の根拠になっている思考に感動したので、実はこの問題を取り上げたのだということに今気づいた。そしてこういう考えをアーレントも踏襲したのである。
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