カテゴリ:music
夏休みになったのに、毎日職場に通っている。もう、何年にもなるが、そういうことになったのだから仕方がない。でも何か馬鹿なことをしたくなって、今晩は、ギーゼギングとグールドの弾く「悲愴」の聴き比べをやってみた。まず、その動機から。ここ何ヶ月かは、女房がずっとベートーヴェンのみを弾いている。いやでも、休みの日などは、聞こえてくる。全32曲ある彼のソナタをさらっているのである。今は21番の「ワルトシュタイン」である、後11曲あるのだから、今年中に終わるのだろうか?(とんでもない!一生かかっても終わるはずがない、というのが御本人の言です)。彼女からときどき聞かされる曲の印象などが妙に心に残っている。グールドは大好きで昔はよく聴いた。総じて、最近はクラッシクから離れていたので、聴いていない。ギーゼギングはこの前、吉田秀和の音楽展望でその名を記憶するまで、我が家に彼のCDがあることも知らなかった。ということで、この二人が弾く同じ曲を、貧弱な再生装置ではあるが、それにかけ、とっかえひっかえ聴いたのである。以下はその報告。
ギーゼギングの素晴らしさを発見した。ものすごくメリハリのある演奏で、しかしねばりのようなものは全然ない。とくに2楽章のアダージョは聞こえないようなピアニッシモの響きから大きな憧れにいたる感じのゆったりとしたせまらない響きまで自在であり、わざとらしさもない。 それに比べてあんなに好きだったグールドのすべるようなタッチが気になる。グールドの速さには違和感はあまりなかったが、ギーゼギングの弾く第一楽章が7分あまり、それに比してグールドは6分少々である、以下同じ、1分単位でグールドの速度が増してゆくという感じを与える。しかし2楽章の、あの祈るような曲、グールドのうなり声がかぶさっていて、とてもなつかしかった。グールドはポスト・モダン思想がこの国に流行したとき、とくに浅田彰などによって推奨されたことがあった。彼の速度とスタイルがスキゾ的なものを与えたからだろうか?ベートーヴェンの演奏に比して、バッハの演奏の超絶的な遅さ、もちろんその斬新なスタイルが称揚されたのだが、そういう流行が過ぎ、そういう流行と無関係に、今、彼をもう一度全部聴きなおしてみたいと思う。ギーゼギングに比べてだが、彼のピアニズムの異質さというのは当然のことだが、一過性のものではないと思った。 ギーゼギングの「ワルトシュタイン」は素晴らしかった。 大したことは書けない。でも、夏の一晩、窓をしめきって、CDを聴く、ささやかな祝祭である。今、「熱情」のアンダンテのとてもきれいな部分が聞こえている、これはグールドのもの。 ということで、結局グールドの側にいるわけだ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
July 27, 2007 12:03:22 AM
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