カテゴリ:essay
ゼーバルトのように、あるいは尊敬する詩人Sのように書くと次のようになるだろうか。
「祥子が、このblogをリンクしたから、自分たちのblogもこのページで明確にリンクしてくれと語ったと、おおうみのぼるは語った」。ということで、今日は私の敬愛する人たちのページもついでに、ブックマークのところにあげておきました。更新していない人のものも追々するつもりです。無断ですが、よろしくご了承ください。 この炎暑についてはもう何も申し上げますまい。今日で私は古文の講習を終了しました。古今著聞集、宇治拾遺、村田春海の「琴後集」、曾我物語、しのびね、井関隆子の日記、今鏡、などから出題された古文を十名くらいの生徒諸君と読んでいると、ふーっと気が遠くなるような瞬間が何度もありました。それは、こういう文章をこの時代に読んでいるという実感をひさしぶりに私はしみじみと味わうことができた、それとつまらない設問の網を破らなければならないというむなしさの両方から起きる「めまい」のようなものでした。生徒諸君はもちろん後者の「めまい」に悩まされたと思いますが、私はたとえば、宇治拾遺にある、馬鹿な聖のことを読むうちに妙に感動したのです。それは次のような話です。 この聖は厭離穢土、欣求浄土を即刻実践すべくある日の早朝に投身入水するというのです。京の遠近を問わず、群衆がこの尊い聖の尊い実行を見るために身動きもできぬほどに集結します。聖の行列の描写。黙想している聖、ときどき口が動くのは念仏を唱えているからです。ふーつと息を吐いて眼をあけて群衆を見渡します、罪多き群集はここぞとばかり聖の視線を求めて右往左往します。 群衆はお米を供養のために、聖に向かって撒き散らします。ここから、この聖が偽者であることが暴露されてゆくのです。「眼や鼻に当たって痛いから、紙袋に包んで、自分のお寺に送ってくれ」などと言い出すのです。入水する川に到着しました。みんなは固唾を呑んで注視しますが、「往生の刻限にはまだ早いようだから、今少し待て」、たしか原文は「往生にはまだしかんなるは。いま少し暮らせ」と言うのです。傍にいた僧は「往生に刻限などあるものか」という疑義を持ちます。一向に入水しないので、群衆はしびれをきらして一人去り、二人さりという具合に立ち去ってゆきます。 それでもついに「申の刻下がり」に舟を出して、川に出ます。飛び込みますが、足についた綱のままです、じたばたしていると供の僧がその綱を切ります。水中にはこの入水をまぢかで見物しようという男がいて、結局アップアップしている聖を救助します。陸で大げさに聖はこの男にお礼を言います。このご恩は浄土でお返ししますというような。まだ残っている人々、それに子どもたちは、すっかり落胆して、このニセ聖に今度は川原の石を投げつけます。聖は逃げますが、あたった石で頭を割られます。しかし彼は死にはしないのです。 この後日談が、説話特有の簡潔で見事な一文で最後に語られるのです。これには参りますね。 「この聖は、あるとき瓜をだれかに贈ったのだが、そのとき手紙に、<前(さき)の入水の上人>と自署したのというのです。このユーモアとしたたかさに私は感動したのでした。<前の入水>などということはあり得ないことですが、この説話の語り手のおおらかな批判のようなものが出ていますよね、そういうところがとても面白かったのです。 この聖以上の醜態をさらしながら、<前の、落選に似た敗戦のときの首相で、今も首相>というような人物も現代にはいるのですが、こういう俗っぽい話をこの、それこそ「美しい」文章に結びつけたくなるのは、この聖にも、この語り手にも失礼というものでしょう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
August 10, 2007 10:55:53 PM
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