W.G.ゼーバルトは、そのエッセイ的な独得の味わいのする小説『土星の環』で次のように彼が居住していたイギリスのイースト・アングリア地方の風景について書いている。
ノーフォーク州とサフォーク州では樹木はおもに楢と楡であって、その森が平地を埋め、あるいはどこまでもうねる波となって、丘や窪地になだらかな起伏をくり返しながら海岸まで達していた。その方向が逆向きになったのは、雨の少ない東海岸一帯にやって来て定住を図ったはじめての人々が、森を焼き払ったときだった。それまでの森林が不規則な模様を描いて大地にコロニーを作り、しだいに隙間なく繁っていったように、今度も似たように不規則な仕方で、灰と化した野原が徐々に面積を大きくし、緑の広葉樹林を侵蝕していったのである。いま飛行機でアマゾンかボルネオの上空を飛んで、空からは柔らかく苔むした地面のように見える密林の樹海の上に、濃い煙が一見静止しているかのように立ち昇っている光景を目にしてみれば、往時における、ときには数ヶ月も続いた野火の規模が想像できよう。先史時代のヨーロッパで山焼きをまぬかれた森は、後代には家屋や船の建造のために、あるいは鉱石の精錬に大量に必要になった木炭のために伐採されていった。はやくも十七世紀にはイギリス諸島のかつての樹林は消え去り、荒れるにまかされた取るに足らない一部のみが残された。(鈴木仁子訳)
今日、ギリシアの凄惨な山火事のニュースをテレビで見た。まだ鎮火していない。アテネやオリンピアの町まで炎の舌が襲っている。原因はよくわからないが、放火という情報もある。いずれにせよ、連日の炎暑と、それにもまして長年の間の開発伐採などで保水力を失った山の樹木の荒廃が大きな背景としてあるように思われる。
今考えても、いや今になってこそというべきだが、なんという言語に絶する、人間の想像力を超えた仕業をアメリカ軍はベトナムに対して、ベトナムの人々と自然に対して行ったのだろう、慄然とするばかりである。それは生態系の破壊を主目標とした「枯葉剤大量撒布作戦(ジェノサイド戦略)」のことだ。1969年年当時、アメリカの最大限の地上部隊は55万人という兵士の数であったという。それに加えて、核兵器を除く当時のあらゆる最新兵器を投入したのである。信じられないことだが、これがぼくの生で、ぼくが一番「若かった」時代の現実に起こった出来事なのであった。フランスによる植民地支配からの独立、その後の分断、冷戦構造におけるドミノ理論によるアメリカの介入、こうした歴史の解釈はそれぞれあるだろう、権力の変遷や隣国との関係などの解釈も同様にそれぞれあるだろうが、「石器時代に戻す」とまで豪語して、すさまじい「北爆」を開始した当時のアメリカ政権がベトナムの人々や、そして自国の無数の若い兵士たちにまで与えた傷は、その後の歴史が証明しているように深い「トラウマ」として残っている。そしてベトナムの自然は戻ったのだろうか?枯葉剤を投与されたマングローブ林はどうなったのだろうか?
自然の「野火」、あるいはそこに住む人々が焼いてつくるわずかな畑地のための火、そういうのを「山火事」とは言わないだろう。理性の野蛮さの極致が「戦争」という「山火事」を起こすのである。
中華文明的な「理性」の象徴として「儒教」はあるが、その大きな影響をベトナムも日本と同様に受けてきた。1075年には「科挙制度」も導入されたという。1076年に建立された「文廟」という所を訪れた。ベトナム初の大学とも言われる。科挙試験に合格した1484~1780年までの秀才の名が亀の台座の上の82本の石碑に刻まれていた。
そこの売店で、ホー・チ・ミンの「獄中日記」を4ドルで買った。これは、彼が1942年8月に中国国民党に逮捕されて、ほぼ一年間広西省内の18の牢獄をひきまわされたときに獄中で書いたもので、113編の漢詩が書かれている(ここの記述は岩波新書「ヴェトナム」坪井善明のもの)。この本は漢文(これには、いわゆるヴェトナム漢字チューノムが混ざっている)、ヴェトナムの現行の国語コックゴー表記、英訳、ときには仏訳という表記で書かれている。漢文を読み下したいのだが、読めない一字、たぶんチューノムが一字まざっているので、英訳で引用しておく。
MOONLIGHT
In jail there is neither flower nor wine.
What could one do when the night is so exquisite?
To the window I go and look at the moonshine.
Through the bars the moon gazes at the poet.
原詩は完璧な七言絶句で韻も踏んでいる。坪井の同書によるとヴェトナムは「詩と竹の国」とも呼ばれてきたそうだ。余計な注釈だが、barは牢獄の格子のこと。
文廟の帰途、大きなガジュマルの樹木があった。その鬚根はuncle Ho(ホーおじさん)のそれに似ているとは思わなかったが、なつかしい奄美のそれと全く同じで、人間の理性の
輝きと狂気とには無関係に風を受けて静かに揺れているかのようだった。(この項続く)