カテゴリ:essay
F:石川次郎がヴェトナムのハノイの食めぐりを伊藤忍さんという人、この人はヴェトナムの食に魅せられて本を出した人だけど、その人と一緒にやる番組が今日(26日)あるそうよ。
M:ええっ、見ようよ。 ということで、昨晩はその番組に釘付けになったのであります。朝食、昼食、晩と分かれていた。ハノイが舞台だった。まず、フォーから始まる。フォーというのは、米から作った麺で、それにすばらしいスープをかけていただくのであります。私はこういうことをうまく説明できないのですが、その味は淡白で、しかしどことなく頽廃の甘味もある、そういう味です。これは何杯いただいても大丈夫というヘルシーな食物です。ライムがいつもつきます。このライムの味がヴェトナムの味の一つでもあります。当該番組の二人は、ぼくらが知らない街頭の、しかし街歩きでいつも見かけた風景だが、店の縁側に並べられた、あの風呂で使う矮小な椅子の上に腰かけながら実にうまそうに食べているのである。Sと二人であそこに座って食べたいな、と語った、あの椅子です。 M:すごいな、あそこに座って食べているよ。 F:それは伊藤さんというヴェトナム食通の案内だから、当然よ。 いつでもどこでも鳥たちが啄ばむように、食事を摂る。そこにはテーブルや椅子も要らない、ただ腰を下ろすことのできる大地、それに代わって、ほんの少し、そこから浮き上がるような支えがあれば、それで結構だ。投げ出す足が彼女の足と触れ合うこともあるだろう、どぶのようなものが流れる地面からわずかな時間だが避難もできる。こんなところには、しかし、お二人は行かなかったね。でも、本当においしそうなフォー。 F:あの喧騒と臭いの充満するドンスアン市場の迷い辻で炎暑と高湿度にふらふらしながら、それでも冷や汗のようなものを流して呆然としていたわね。それともカフカを気取って、どこにも抜け道はないのだとやせ我慢をこらえていたの? M:だからといって、あの「風呂」椅子に座ることから拒まれているということはないと思うよ。 食というのは、たとえばヘンなアナロジーだが、埴谷雄高の作品の黙狂の男、その名前は忘れたが、彼にとってはどういうものだったのだろうか。あるいは、1972年にイスラエルのベン・グリオン空港で銃を乱射した日本赤軍の岡本公三にとっては、どういうものとして認識されていたのだろうか?そして、とりわけ強制的にヴェトナム戦争に徴兵されたアメリカの兵士たちにとって。 F:お父さん、見てよ。ワイルド・ロータスなんて恰好いい名前の、おお、素敵な店にあの二人は入ったよ。 M:伊藤さんっていう人は、アオザイ姿がよく似合うね。でもヴェトナムの人はもっと似合うよ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
August 27, 2007 11:39:32 PM
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