カテゴリ:essay
ハノイに二泊して(実際は到着が遅かったので、正味一日しか見て回れなかった。ホーチミン廟も、戦争に関する展示物のある歴史博物館にも行ってない。次回を期すしかない。)、次に向かったのは、フエという、その王宮跡が世界遺産に登録されている古都である。17度線を境にした分断時代は南ベトナム政府の支配地域の最北端近くに属していて、1968年の北ベトナム軍や解放戦線側のテト攻勢で大きな傷痕を残したところでもある。当然のことだが、どこでも戦争の傷跡がのどかな風景や活気にあふれた人々の生活の見えざる底部にはあるのであって、それが強いられた「内戦」である場合には、やりきれないものが残るにちがいない。分断を強制したのは当時の「帝国」間のくだらないイデオロギーの応酬・分配の結果であったが、それをはねのけ、「自由と独立ほど尊いものはない」というホーチミンの「正義」が最後に勝ったとはいえ、同胞同士で殺し合った記憶は、そういう経験を被らざるをえなかった人々の胸裏に、われわれ観光客には決して理解できない深い悲しみを残さざるをえない。
グエン朝の首都であり、フランス支配時代もその「権威」は温存され、各国の大使館などが置かれていたという。王宮の美術館を見たが、フランス政府から寄贈された大きな壷の陶器があった。民族風の焼き物に「自由の女神」のようなフランス風の女性像が周りを囲んでいるものであった。 王宮跡を扼するように、その前面にフラッグタワーという大きな建造物があり、そこにはその名の通りベトナム社会主義共和国の旗が炎暑をものともせず翩翻として翻り、広大な王宮跡の修復された宮殿や、修復中のものをあえぎながら見て回っている私のひ弱さをあざ笑っているかのようでもあった。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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