カテゴリ:essay
疲弊して帰ってきた。W.G.SEBALDのAFTER NATUREがBarone BooksというNYの書店から届けられていた。PENGUIN BOOKS。原書はドイツで1998年にドイツ語で出版されたもの。それをSEBALDの友人、Michael Hamburgerが英訳したもので、2002年。Available for the first time in Englishと裏表紙に書かれている。後記として、簡素な注記が以下のようにある。
"This translation of After Nature is published posthumously. W.G.Sebald approved a final version of the text before his untimely death."ということはゼーバルトが事故で死んだのが2001年だから、その遺作として出されたということ。ゼーバルトもその不時の死の前に、これを決定稿として認めていたとある。これは有名になる前のゼーバルトの最初の文学的な仕事に属するものだが、ここには彼のそれから立て続けに出された作品群のモチーフとそのスタイルの原型が、散文詩然としたスタイルのこの本にすでに明白に胚胎されている。 私の言葉でいえば、それは、ある主要なキーから始まって、その和音に至り、そこからまた果てしなく変化、展開の彷徨が始まるというのが、彼のスタイルなのだが、この本で、そのキーになるのは、以下の二つの画像の作者たちであり、もう一つはゼーバルト自身であるということになる。 本当に、インターネットというのは便利で、私は、二人のキー人物をすぐに調べることができた。しかし、私がその二人の人物を深く知っていて、ゼーバルトのように、そこから無限の旋律を演奏できるというわけでは、当然のことながら、全くない。私は、この忙しい時期に、こうしてゼーバルトの英語の本にただ向き合っている、その本の誘惑の前になすすべもないこと、これが私の愉悦である。 さて、一人はドイツの後期ゴシックの画家Grünewaldの祭壇画altar piecesの一つである。もう一つは、ドイツ生まれのbotanistでロシアに移住したゲオルグ・シュテラーの発見したカムチャッカの海鷲の写真である。この二人を、ぜーバルドがどう演奏するのか、その報告を私が可能にするのは、一体いつなのか。すべて未知だが、こういうことを考えているのが私の一番幸福なときで、疲れを忘れるのである。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
September 26, 2007 11:37:50 PM
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