カテゴリ:essay
週末になると、へとへとになる。久しぶりにジャズを阿Qラジオで聞いている。ビル・エヴァンスのSpartacus Love Theme, Nardisというのが流れている。秋に似合うピアノソロである。
なにか「実質的」なことを書きたいのだが、ここに向かうと「癖」で、何かを言わなければならないような強迫状態になってしまう。別に格別な「実質」があるわけではないよ。 ということで、今日一日のことを書いてみる。 朝の寝起きが、最悪だった。「仕事がなければ寝ていられるのに」と思った。どうにか起きて、この日だけは弁当フリーdayのカミサンを起こさぬように、階下に行き、そそくさと米と昨晩の残り物のおかずを食べていると、カミサンも起きてきて、今日はパンではないの、とのたまう。老猫アトムがギャアギャアとゴハンの催促をする。 出発は午前6:40分、59分の電車に乗る。今朝は座れなかった。窓際に佇み、早くこの通勤も止めたいものだなどと、いつもの思いを反芻して、30分たらずで、N駅に到着。ここから胃が痛くなり始めるが、無視して職場へ。「ああ」「はあ」などと呟きながら、スロープ状の坂道をのぼり、あっという間に門に着く。カフカの「城」とは正反対だが、そこからの日常が「城」も顔負けの、面白くおかしく、やがてかなしくなる、というような日々である。 「労働は喜びであり、人間の本質を具現したものである」というような近代の労働観を批判した、今年亡くなった今村仁司の問題文を生徒諸君と朝の二時間読む。こういう労働観が実は「管理のためのイデオロギーに過ぎぬ」というところで、質問あり、「イデオロギーとは何ですか?」「きみとぼくがこうしてここにいるようにしているものだ」などと答えたか、どうか。わけのわからぬことを力説して疲れたが、もう一時間は、クラスの授業で「舞姫」を読む。これは、もうパニックを通り越して、英語よりも難しそうであるが、そういうことにこだわっていては「労働」は成立しない。SO IT GOESですべてをやっつける。エリスってだれ?SO IT GOESというような感じ。ものすごくできる、できそうな顔をした子たちは、違うことを考えているのだろう、予備校のテキストを出して英語をやったり、昼飯のことを考えたり、SO IT GOESさ。ときどき、見知らぬ山の頂付近で、迷っているような気になり、文脈とは関係なく、「おーーい」と大きな声を出すことがある。すると、内職をしている子は自分が叱られたと思い、ハッとして顔を上げる。そうではない、ぼくが迷っている、ここはどこ、と自分に言っているのだと思いながら、ダメだよなどとオートマティックに反応したり。 でも、授業が一番面白いのは変わりなく、あとの仕事などを考えずに、これだけに集中できれば最高だと思う、でも、そういうふうに職場をしようとは「お上」はしなかった。というようなことなどを考えているうちに、昼飯。 で、書くにたりないこと、疲れることがつづいて、退勤の時間。サッと、静かに出て、朝の路を逆にたどるのです。サッと静かには、格好よすぎる、メロメロで、頭は何も考えられないが、自宅に近づくにつれて、すこしずつ正気になるというわけ。こういうことが36年間続いたという要約では、落第に決まっているが、SO IT GOES! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
October 5, 2007 09:07:46 PM
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