カテゴリ:essay
You don't know where I am.これは湯殿川の今年の秋の色です。陽射しの強かった土曜日の午後の散策で撮影したもの。 今日は24時間が天恵のように与えられました、「カラマーゾフ」の2巻目を読み終わり、イワンの大審問官のコントラとしての、ゾシマ長老のアリョーシャによる伝記の言葉、愛に満ちたそれを読みました。このポリフォニックな言葉の対比は、ドストエフスキーという天才をもってして、はじめて書かれたものにちがいありません。「告白」のきつさ、それを支える「愛」の最終的なゆるし、それゆえ、もしかしたら「愛」こそがもっとも過酷なものではないか、というようなことなどを思いました。ゾシマ長老の次の言葉が印象に残っています。
なんという言葉だろう! そして、この「聖人」を徹底的に侮蔑する死の「腐臭」から、また物語りは動き出すのである。まさしく、プロとコントラを、大海の波のように、押しよせ、帰るリズムで描ききるこの大作は「人生」よりもリアルな「人生」なのかもしれません。しかも、そこに作者の姿はゼロなのですから、もっともラディカルな小説であるとも言わざるをえません。突飛な連想ですが、『源氏物語』などと比べてみたいと思うほどです。 語るということの「すさまじさ」があるのです。語るにたる「生」のすさまじさがあるのです。二つにともに。というのが、とば口の思い。 ものいわぬ秋の景色も、造物主、造化の愛のなせる業であるのでしょうか。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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