カテゴリ:essay
田村隆一の「保谷」をホームのページにアップしたが、これを書き写していると、昔10年も通った保谷の景色が髣髴としてくる。ケヤキの巨木も通勤の途上で見た。そのときの私にも「悲惨」の感情はあったが、この詩のような「形式」は持てなかった。その感情の蠢くままに、私は傷つくことをだれかに強制したかもしれない。ケヤキの巨木の小さな「傷」に、そのころはひきつけられていた。その「傷」から巨木を眺め、巨木を揶揄したかったのだろうが、そういう思いと行為が、たしかに人を傷つけたのだった。自らの悲惨を「育てる」という発想が私にはなかったのだ。それを撒き散らしたのが私の苦い思い出。
今日の帰りの電車のなかで考えたこと。「私はもう全く日本語を聞きたくない。全く分からないベトナム語とか、そういう言葉だけを聞いていたい」ということだった。この耳がとらえる電車のなかの言葉、どうしてそういう言葉をとらえなければならないのかという憤懣に似た思い。寝たふりをしながら、耳は意味をつかまえる。意味に憑かれている。耳を洗いたくなるよ大きな声での言葉。夏にベトナムに旅行したとき、あんなに気分がやすらいでいられたのは、「言葉」が理解できなかったからだということに気づいた。音楽も言葉でないから、いいのだ。 私は詩を書いているが、言葉にならない詩を書いてみたいと思った。今までの私の詩は言葉だらけだ、そういう言葉で人の眼や耳に阿り、またその人たちにも目と耳を洗いたいと思わせたはず。どうしたら、そういう詩を書けるのか、皆目見当はつかないが、「言葉」について、言葉が語るというハイデッガー流の規定の「深さ」も、私には信じられない。「言葉」を作るしかないのかしれないが、さて、どういう言葉を私は作りうるか。 美しい声、単純な声、声が声自体と出会う詩。言葉に入る前に、声の形式で言葉を凌駕する詩‥。夢想だよね。 感情のない詩、歌のない詩、否定のない詩。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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