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詩人たちの島

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October 15, 2007
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カテゴリ:書評
70年代の後期のころ、大岡信が雑誌「ユリイカ」で岡倉天心のことを書いていたのを、興味を持って読んだことがある。その当時は「品格」などという卑しい言葉は流行していなかった。この言葉も地に堕ちたものだが、それは、これと「国家」などが結び付けられ、それに類したタイトルの本がベストセラーになるような時世になったからだ。

授業で扱った問題に岡倉天心の名が引用として出てきたので、久しぶりに「茶の本」を読もうと思ったが、なかったので、桶谷さんの訳した講談社学術文庫版のそれを土曜日に買いに行った。



Those who cannot feel the littleness of great things in themselves are apt to overlook the greatness of little things in others. The average Westerner, in his sleek complacency, will see in the tea ceremony but another instance of the thousand and one oddities which constitute the quaintness and childishness of the East to him. He was wont to regard Japan as barbarous while she indulged in the gentle arts of peace: he calls her civilized since she began to commit wholesale slaughter on Manchurian battlefields. Much comment has been given lately to the Code of the Samurai,――the Art of Death which makes our soldiers exult in self―sacrifice; but scarcely any attention has been drawn to Teaism, which represents so much of our Art of Life. Fain would we remain barbarians, if our claim to civilization were to be based on the gruesome glory of war. Fain would we await the time when due respect shall be paid to our art and ideals.

(みずからの中の偉大なものの小ささを感ずることのできない者は、他人の中の小さいものの偉大さを見すごしやすい。普通の西洋人は、なめらかな自己満足ひたって、茶の湯に、東洋の珍奇と稚気を構成する無数の風変わりなもののさらに一例を見るにすぎないであろう。西洋人は、日本が平和のおだやかな技芸に耽っていたとき、野蛮国とみなしていたものである。だが、日本が満州の戦場で大殺戮を犯しはじめて以来、文明国と呼んでいる。近ごろ、「サムライの掟」――わが兵士が勇躍して身命を捨てる「死の術」についての多くの論評を聞くけれども、茶道についてはほとんど注意が惹かれていない。茶道こそ、わが「生の術」を大いに表しているのである。もしもわが国が文明国となるために、身の毛もよだつ戦争の光栄に拠らなければならないとしたら、われわれは喜んで野蛮人でいよう。われわれの技芸と理想にふさわしい尊敬がはらわれる時まで喜んで待とう。) 桶谷秀昭訳



上の引用は「西洋」に対してものを言っている部分だが、その枠組(東洋vs西洋)を越えて、この主張の「品格」をだれも疑うことはできない。日露戦争後のナショナリズムの高揚の中でこういうことを言えたということは、その後、天心を利用した凡百のナショナリストたちには見えないことだったと私は思う。

読み返してみて、私は岡倉天心という人は、早く生まれすぎたエドワード・サイードというような奇妙な印象を持ったのである。もちろん、天心に根深くある底なしのニヒリズム、美の野放図な賛嘆者という部分はサイードとは異なる部分かもしれない。サイードは天心を読んだのだろうか?単に東洋文化・技芸の「鼓吹者」なら、オリエンタリズムの反転にすぎないだろうが、天心には知の毒と甘さを味わいすぎた人のニヒリズムがあり、むしろ単純な二元論をこえて、美という帝国そのものさえ相対化するような強さを感じさせる。
政治は言わずもがな。

次のようなところ、
―― 現代の人類の天は事実、富と権力を求めるキュクロプス的巨大な闘争によって粉砕されている。世界は我欲と俗悪の闇の中を手さぐりで歩いている。知識は疚しさの意識によって得られ、博愛は功利のためにおこなわれる。東と西は狂乱の海に翻弄される二匹の竜のごとく、生命の宝玉を取り戻そうとむなしくあがいている。われわれはこの大荒廃を繕うためにふたたびNiuka(注・中国古伝説上の皇帝。天柱が欠けたとき、五色の石を練って修復した、漢字がワープロとして出ないので天心の原文の表記に従う)を必要としている。アバター(注・ヒンドゥー教における地上での神の化身)の出現を待っている。その間に、一服のお茶をすすろうではないか。午後の陽光は竹林を照らし、泉はよろこびに泡立ち、松籟はわが茶釜にきこえる。はかないことを夢み、美しくおろかしいことへの想いに耽ろうではないか。―

これが今から百年前に書かれたって?そうだよ。なんと、予言的なんだろう。人類の進化など、ほんとうに微々たるものと思わざるをえない。最高のフレーズだよね、「その間に、一服のお茶をすすろうではないか。午後の陽光は竹林を照らし、泉はよろこびに泡立ち、松籟はわが茶釜にきこえる。はかないことを夢み、美しくおろかしいことへの想いに耽ろうではないか。」とくに「はかないことを夢み、美しくおろかしいことへの想いに耽ろうではないか」というのは最高です。みなさん、どう思いますか?


The afternoon glow is brightening the bamboos, the fountains are bubbling with delight,the soughing of the pines is heard in our kettle.
Let us dream of evanescence, and linger in the beautiful foolishness of things.








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Last updated  October 15, 2007 10:53:04 PM
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