カテゴリ:essay
代休を利用して、最終日間近になった、江戸東京博物館で開催されている「夏目漱石」展に行く。平日にもかかわらず、相当な混雑であった。
東北大学所蔵の漱石文庫から400点ほどの漱石の読んだ洋書が展示されていた。眼がくらくらした。開かれてある本には小さな美しい綴りで、英文が随所に書かれている。なかでもベルクソンの「時間と自由」の分厚い英訳本の扉の裏には、哲学書を読んで美しいと感動したことはなかったが、この本はその珍しい感動を私に与えてくれた、という意味の、これは日本語だが、薄れて読みにくい文字で書かれていたりする。ドゥルーズが「差異について」で取り上げている自国の哲学者を、極東の留学生が20世紀の初頭に読みこみ、感動しているのである。 当然のことだが英詩関係も一杯ある。彼のロンドンでの英詩の断片も、美しい書体のまま鮮やかに残されていて、そこには漱石が家庭教師としてならったクレイグの書き込みもある。クレイグは漱石の詩をブレイクに似ていると評したという。 彼のデスマスクまで至りつく2時間強の旅。1867年に生まれ、1916年に死んだ男の年齢は49歳で、私より10歳も若いのだった。そのあまりにも濃密な生がたてる香りに息苦しさも感じたのは、このように「展示」された49年を覗き見ることしか許されない、混雑と慌しさが強いるものでもあろうか。 印象に深く残っている英文の手紙があった。だからといって、正確に覚えているのではない。家に帰って、学生時代に買って、唯一手離してない、新書版の漱石全集があるのだが、それにあたっても、その手紙は見つからなかった。たしか挫折して、札幌農学校だかに移った友人に対しての熱情溢れる慰めの手紙だったように思う。この人生などはたいしたものではなく、そこから生じた苦しみなども、たいしたものではない。まともに考えるべきものは、この生に一つもありはしない。そこから反転して、どう生きるか、それだけだ、というような内容であったか。どす黒いペシミズムと、それに負けない努力、やせ我慢の生き方、相反する考えを抱いて、そのどちらにも負けない生き方、簡単に妥協しない生き方といえばいいのだろうが、それが漱石の生き方だと思った。 明治34年(ロンドン滞在中)の断片に次のような一節があった。 If we go back, we shall be monkeys ere long. Darwin has taught us that. If we go forward we shall be gods. Buddha has said so. Which way are we going? Were we born, we must die.― Whence we come, whither we tend ? Answer ! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
November 15, 2007 09:18:52 PM
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