カテゴリ:essay
忙中のわずかな暇を盗んで、立川に出た。ノルテで買った本、藤井さんの「詩的分析」、ねじめ正一の「荒地の恋」。それからドイツの16世紀の画家、グリューネバルトについての情報を得たくて、2時間ほどうろついた。ユイスマンスの「彼方」に彼のことが書かれているとのこと、「アイゼンハイムの火」というタイトルの、亡くなった美術評論家の書物のなかにあるのを見つけた。また、ユイスマンス自身の翻訳書(「彼方」ではなく、グリューネバルトについて書かれたもの)もあり、それに有名なキリストの磔刑像(アイゼンハイム修道院のために描かれたもの)の写真が掲載されていた。それをずっと見つめていたが、うまくここに描写することはできない。これらの本はすべて高価だったので、購入をあきらめざるを得なかったのが残念である。しかしユイスマンスの「彼方」は大昔、古本屋で買った記憶がかすかにあったので、家に帰って調べてみたら、「彼方」ではなくて「出発」だった。がっかりする。あの無残なキリスト像と、左のパネルに描かれた聖セバスチャンの苦悶の像、右のパネルには、この絵を注文した修道院の隠者、聖アントニウスの像などの記憶がまだ残っている。もちろん嘆き苦しむ聖母マリア、彼女を抱き慰める福音作者ヨハネ、十字架の下にひざまづく小さく描かれたマグダラのマリアと香油壜、また面白いことにcrucifixionの右側には、キリストを指差している預言者ヨハネまでが描かれていた。これらのすべてが強烈な印象を与える筆致である。一度見たら忘れられない悪夢のようでもある。この画家自体が謎に満ちていて、彼の絵と確定されたものはわずかしかないということだ。すっかり疲れて、本屋を後にしたら小雨が降っていた。預言者ヨハネは何か書かれたものを手にしていた、そこには「彼は必ず栄え、わたしは衰える」という福音書の言葉が記されている。これらのすべてが実は壮大な寓喩(parable)でもあるが、私には解読できない。世界史の中世の闇を抜けると、立川の駅中は異様な明かりと混雑で荘厳されているように見える。「見よ、あなたがたは散らされていて、それぞれ自分の家に帰り …」。
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Last updated
December 16, 2007 03:25:25 PM
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