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あらたしき展開告知する使者のあしおと低し雪が降り来る 水島修
こういう声を彼も持つようになったのだ。物思うことは思わぬことと連接している。多く思うことが少なく思うことにまさるなどということはない。人は、いつの時代でも、不如意と不安にさいなまれている。多く嘆きを歌う方が、少なく「低」く「あらたしき展開」を歌うことにまさるということはない。関節がはずれたような措辞、「あらたしき展開」「使者」「告知」「低し」などを収斂させるのは平凡な叙景「雪が降り来る」である。この平凡さの中にこそ、彼の歌が今は存在するのだ。でも、彼はことさらな対照を試みようとはしない。「関節がはずれた措辞」というのは、評者の勝手な読みにすぎない。なだらかさの連接のなかで、そのなだらかさが内包する小さな違和。「使者のあしおと低し」、きみはずっと使者を待っている、永遠に到達しないカフカの使者、かれは今、宮殿を出発した、でもその宮殿の広さは無限大だ、きみは窓辺にすわり、「降り来る」雪をながめながら、使者を待つ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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