カテゴリ:essay
Wallace Stevens
THE SENSE OF THE SLEIGHT-OF-HAND MAN One’s grand flights, one’s Sunday baths, One’s tootings at the weddings of the soul Occur as they occur. So bluish clouds Occurred above the empty house and the leaves Of the rhododendrons rattled their gold, As if someone lived there. Such floods of white Came bursting from the clouds. So the wind Threw its contorted strength around the sky. Could you have said the bluejay suddenly Would swoop to earth? It is a wheel, the rays Around the sun. The wheel survives the myths. The fire eye in the clouds survives the gods. To think of a dove with an eye of grenadine And pines that are cornets, so it occurs, And a little island full of geese and stars: It may be that the ignorant man, alone, Has any chance to mate his life with life That is the sensual, pearly spouse, the life That is fluent in even the wintriest bronze. 血を抜かれたり、排泄物を提出したり、逆さまになったり、なにかを塗られたり、いろんなことを体にされて、老医師の、メタボ寸前である、酒をひかえよ、ちゃんと病院に行け、などの検診後のconsiderationsを聞いて、そこを出たのは2時前であった。昨晩の9時過ぎから水も食も採ってなかったので、立川駅ビルのなかに駆け込み、昼飯を食った。今までに入院したことなどなかったし、無茶で不摂生でもどうにかなったけど、これからはそうもいくまい。 そのあと、喫茶店に行き、Wallace Stevensの上記の詩を、電子辞書で確かめながら、読んだ。仕事は休んだし、誰にも邪魔されない一時間強ばかりを貪る。何も考えなかった、何も思い煩わなかった。この詩も、あと少しでわかるだろうというところまでしか読めていないが、それにしても一番読めていないと自分で思うのは、この詩の深さである、議論の詩ではないし、何かを宣言しようとしているのでもない、ただこの感覚の歴史というか、そういうものがとらえきれない、そのもどかしさのなかでも、私は自分が「島にいる、無知で、孤独な一人の男である」と想像してみる。英語には、冬の形容詞があり、その最上級が当然の如くあるというのにも驚くのだが、その「厳しい冬のさなかにいても、真珠のような配偶者との官能的な生」をつがわせるチャンスがあるかもしれない、いや「もっとも荒涼たる冬の青銅」というような言葉自体に酔っていたのだ。 書き写していると、音楽が鳴ってくるようでもあった。ともかく、Wallace Stevensにたどり着けたことに感謝しよう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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