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詩人たちの島

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February 15, 2008
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カテゴリ:essay
My funny valentine


My funny Valentine
Sweet comic Valentine
You make me smile with my heart
Your looks are laughable, unphotographable
Yet you're my favorite work of art
Is your figure less than Greek
Is your mouth a little weak
When you open it to speak, are you smart?

But don't change a hair for me
Not if you care for me
stay little Valentine, stay!
Each day is Valentine's day



私のおかしなバレンタイン
かわいらしくて面白いバレンタイン
いつも私を心の底から笑わせてくれる
見てくれはおかしくて、写真向きじゃないけれど
あなたは私のお気に入りの絵のモデル
スタイルはギリシャ人には負けるわね、
しゃべり方も少したどたどしくて
話し始めるとお世辞にも頭良くは思えないわね。

でも私がこう言うからって
あなたの生き方を少しも変えちゃだめよ
あなたに会えばいつも意地悪ばっかりで
あなたは私を煙たがっているかも知れないけれど、
もう少しそばにいてよバレンタイン
あなたといれば、毎日がバレンタインデーね
(ロジャース&ハーツ)

上記は、ひぐま氏のblogからコピーしたもの。ただし、段落は私が設けた。ひぐま氏はバレンタインデイの夜に、ひさしぶりにチェット・ベーカーの歌で、これを聴いたとのこと。

私も、これを読んで聴きたくなり、今聞きながら書いている。ひぐま氏によるとチェットの声は「ピーターパンボイス」というのらしいが、私も一時期、この甘ったるく、倦怠に満ちた声が好きでよく聴いた。ウーン、やっぱりいいと思えばいいし、という感じかな、今は。

06年にチェットの歌う何曲かの歌の歌詞を引用した詩を書いたことがある。岡山の「大朗読事務局」が出している、DOG MAN SOUPの3号。

私はずいぶん誤訳していたのだなと、ひぐま氏の訳(たぶん、そうだと思うが)を読みながら思った。どこかどうということは書かないが、その詩を全部書き写してみます。これは、最近詩を書いていないので、その助走のような気持もある。



fall in love too easily
         


鏡の中の鏡
割れている
砂浜
産卵の夜を迎える海亀の無数の足跡
点描画家たちの色彩の…の混じりあいのように
分けがたい涙と泣き声が告知する明日の
波打ち際
破片を拾いあつめ
私はあまりに簡単に恋におちる
憎しみがしなびた筋肉に赤い血をめぐらすのと同じだ
一日「玉砕」を暮らす
埒もない想像に乗って
軍服姿で敬礼している私
捕虜として労働を強制されている私
父たちのかわりに「万歳」とささやく
大きな鏡は
つねに/すでに死んでいる
五月、六月、しかし
神無月まで私は生きながらえるだろうか
どんな出発とも関係のない日々を縫って
旅立っていることを知らない旅の
なつかしさや なつかしい
待っていることを待てない待機とか
単に認知症の老人になることを跪いて祈るなど
単に微笑でいい
青白い月ではない
「私を興奮させ、スリルと歓びを与えてくれる」のは
貴重な「少し」、少しの「貴重」、そういう色彩の混じりあい
九月、十一月、
私はあまりに簡単に恋におちる
私のおかしなバレンタイン
表象をすりぬけ、哄笑に値する私のバレンタイン
「たとえ私が好きでなかったとしても…」
そのままいつもの

いつもの
かわいい私のバレンタインでいて!
四月のパリ
素数の文月、だれも繰り返せない、割れない
「私が駆けて行き、私の心というものがあれば
その心に刻みこまれた」晴れや雨
暮春には春服既に成り、冠者五六人・童子六七人を得て
詠じて帰らん
孔子が賛同した生から見棄てられ
しかし帰るだろう
暮春
いまだない、もはやないノスタルジアのにじむ道
光り輝く眼差しの童子たち六七人
遠くを見つめた青年たち五六人とすれちがう
「けだるい老衰
血のゆるやかな腐蝕 やがて肉体の破壊」のすべてが
聞き飽きたブラームスのクラリネット・クインテットのように鳴るまで
詠じて帰らん
「過酷な錯乱」
「今こそ俺は魂をつくろう」
読みさしていたイェイツを読む
うすくかげり消えてゆくちぎれ雲よ 飛びつつ鳴く孤独の鳥よ
産卵の涙を流す海亀よ
割れている鏡
私はあまりに簡単に恋におちる
「五月から十二月まではとても長いけど
日々は次第に短くなる」
セプテンバー・ソングが歌うのは
季節ではない
神無月まで私は生きながらえるだろうか
そのレクイエムのような、破片たちへの
かわいい私のバレンタイン




今 自分の詩を読み返して考えるのだが、この詩のspeakerは男性か女性か?全体では中年の?男性らしく思われるけど。(一箇所だけ、原詩のspeakerと同様に女性になっているところを発見もしたが)。ということは、私は原詩をあまり理解していなかったということになる。原詩は、生意気だが、どこか素直なところもある少女が、ちょっと、とろいValentineという名の恋人をからかっているというような感じだと思う。あるいは、これも錯覚か?
私は、このValentineを少女の名ととって、書いたようだ、先の一箇所を除いて。でも、その一箇所が誤訳と関係しているところでもある。

いずれにしても大したことではないが、意図して詩のspeakerの問題を考えてみようと思った。そうすると人物との関係がもっと明確になるはずだ。「私」というspeakerはごまかしがききすぎる。では?

You make me smile with my heartというような強い、はっきしりしたyouとmeの関係を日本語はなかなか作りがたいが、このyouとmeのsexは何か、というと、英語ではまたわかりにくい(そのわかりにくさは、こちらの無知もあるが、もっと文化的なものでもあるはずだ)。そういう違いも考えてみると面白いことだ。





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Last updated  February 15, 2008 10:15:08 PM
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