講師:「味の明太子 ふくや」代表取締役社長 川原 正孝 氏
テーマ:「私の経営理念 ~人を生かす経営~」
~連載記事の「その2」です。
もしまだでしたら、「その1(前記事)」から先にお願いいたします~
父である創業者は釜山生まれ。戦後、故郷博多に引き上げてきました。
戦争を経験し、いまだ命がある。戦後は「自分は生かされている」と人生観が変わり、
何か世の中のためになることをしようと昭和23年、博多・中洲に店を構えました。
「現金で仕入れて、現金で“回転の速いもの”を売る(ストックを少なく抑える)」ことにします。
個人商店です。他の大型店とはとても競合できません。値引きや付加サービスはせず、
来店者に長くいてもらうために母(=創業者の妻)は店頭でお茶をふるまい始めます。
周辺の水商売のお客さんが多いので、前日に売り上げが悪いとどうしても機嫌が悪い。
そこで小細工して茶柱が立つようにすると、「縁起がよい」と、とても喜んでいただける。
そんな気分で自分の店に帰ってもらうと、従業員の士気も高まる。その結果、そのお店の
売り上げが上がるという、「茶柱効果」で評判になります。
創業 昭和23年10月5日
食料店を営んでいたため、「明太子」は取り扱っていました。
ただ塩辛いだけの明太子・・
「昔食べた、あの韓国の辛いキムチの明太子にできないか」
日本では手に入りませんから、自ら作るしかありません。研究と試食を重ね、
昭和24年1月10日、十日えびすの日に「辛子明太子」が初めて店頭に並びます。
最初から売れたわけではありません。韓国育ちの創業者の味は、
日本人には辛すぎました 食べてくれた人の反応を聞き、改良改良の毎日。
「父が職人でなくて良かった」
職人であったなら、自分の腕を信じて疑わず、その後の改良の努力が見られ
なかったであろうと。創業者は、PTA等の集まりのときにも「辛子明太子」
を持って行き、皆に試食してもらって感想を聞いていたそうです
こうして何とか波に乗り、転勤者や出張者にも人気で全国的に広まります。
辛子明太子が売れ始めると、近所の商店から、自分のところにも置かせて
欲しいと申し出が相次ぎます。創業者は、「卸し」をしないと決めていました。
「造り方を教えるから、自分のところで作ってくれ。
ただし、味はふくやと変えること。」
せっかく儲かっているのに、このひと言、あなたなら言えますか
特許をとれば、「辛子明太子」に関しては他にお客様が流れずに済むものを‥。
しかし、このひと言により、各商店が独自の味の「辛子明太子」を製造・販売
することで、「博多土産=辛子明太子」というのが定着し、現在に至っているのです
この創業者の精神は、次編で触れる企業理念に通じています
~続く~