先日の経営セミナーの続きです
「我が社は社員がよう働いてくれたからなぁ」が口癖だったそうです。
ご本人も、「いくら寝ずに悩んでも、前向きに考えないと物事は決して解決しない。
だから悩むのをやめて、最初から前向きに取り組めばいい」と、前向きな方でした。
昭和5年の不況時には、世の中ではリストラが大流行。ところが松下氏はひとりも
首を切りませんでした。せっかく育てたのに、いま切れば、景気が良くなったとき
また最初から育てなくてはならなくなるから。しかし不況で製品は売れず、倉庫に
入りきれない在庫の山を抱えています。そこで、生産を半分にすればいい、と
社員を半日だけ働かせ、残りの半日は在庫を売りに行かせました。
こうして、2ヵ月半で在庫を売りさばき、ひと足早く不況から脱出したのです。
社員の転勤時には「左遷された」と思わせないよう、「君しかいない」と送り出しました。
「あそこは成績が良くないから、君が行って立て直してくれ」と。出来ることから一つずつ
解決するようアドバイス。昭和55年、70億の私財を投じてつくった松下政経塾の塾頭に
営業マンを抜擢する際には、「(政治に関して)素人だから良いんだ」と激励しました。
部下育てにあたっては、部下の意見をよく聴き、松下氏の思うところの50%以上のものなら
「それでやってみなさい!」と背中を押して、自分でやらせてみる。そうすると、失敗したとき
上からの指示のせいにせず、部下が自分で失敗原因を考え、次から失敗しないよう努力する。
口は一つしかないが、耳は2つある。人の話をよく聴くためにある。聞き上手=話し上手である。
また、松下氏は実行する前にプラン等を発表してきました。他社にバレてしまいますが・・?
「口に出して言うと、8~9割は出来たのと同じだ!」先に公言することで、出来なかったと
思われないよう必死に努力するのです。社員も一丸となって、努力します。
「成功の要諦は、成功するまで続けるところにある。途中で止めるのが失敗だ!」
「世界の総ての物は生成発展している。自分の考え方も、停まると退化したのと同じだ。」
いつも仕事のことばかり考えていたそうです。テレビニュースや新聞広告を見て、秘書に突然
「この洗濯機のシェアは何%か?」、移動中の乗用車で「あそこの信号機はどこの製品か?」
後日、自社のものでないと判ると、なぜ自社が他社に負けたのか原因を調べさせ、一つひとつ
改善していったのです。 何で?何で?を一生持ち続けた、「永遠の少年像」です。
また、森羅万象あらゆることから学びました。桜の花を見ては、冬の辛い時期を耐えてきたから
いま美しく花開いている。相撲を見ては、力士のあの勇ましい姿は日ごろの厳しい練習の成果
である、と。 「心して見れば、万物ことごとく我が師となる。」
ご夫人もまた、素晴らしかったそうです。決して前に出ず、陰で夫を支え続けました。
松下氏が平成元年に94歳で、むめの夫人が平成5年に97歳で天寿を全うされました。
このような松下氏の生きざまから学ばれた蟻馬先生の人生のテーマは、
「知り合いになって良かったと思われる人になること」
これは、私も本当にそうなりたいと思っていることです。
そう思われることで、さらなる元気と勇気が湧き、もっと成長できると思います。
蟻馬先生が最後におっしゃった言葉です。
「知っているだけではダメ、実行しなくては意味がない。」
「過去をどれだけ振り返っても、過去を変えることはできない、変えられるのは未来のみ。」
「あのときは若かったなぁ、と過去を振り返るのではなく、今日が一番若い、と
未来を見つめること。人生は一日一日減っていくが、増えることはない。」
松下氏の人となりにも大変感銘を受けましたが、
私が一番ドキッとしたのは蟻馬先生の一番最後のひと言です・・
お金は、使えばなくなる
頭は、使えば良くなる
時間は、使っても使わなくても、なくなる・・
後悔しないよう、一日一日を大切に生きているつもりではありましたが、
ドキッとするということは、まだ十分にはできていなかったのかも知れません。
あらゆることを考えさせられた、経営というより人生勉強のセミナーでした。
余談ですが、このセミナーの後、前日に引き続き映画の試写会に行ってきました。
この日は郊外のシネコンで、車で移動してギリギリで間に合いました。
アクションものでしたが、どうも私にはいまひとつでした・・