子どもに恨まれてしまう親
かなりネガティブなタイトルですが私が実際に見て体験したことでこんなことが本当にあるんだ・・・とショックをうけた出来事がありました。私も、その恨まれる親の仲間入りをするところだった。私は、自分と一緒にいる子どもたちが口ではもう「父親には会いたくない」という言葉を私にだから、そんな事を言うのだと思いました。実際、私も母と離別をした後、父親には「もう会いたくない」と自分の気持ちに嘘をついて言ってしまったことがあるので・・・けれど、違ってた。本気で会いたくないと思ってた。なので、良かれと思っていたことがそうではない結果に終わってしまったことが今は悔やまれます。そして、相手(父親)の対応もまずかったね。一番頑張っているのは、子ども達です。その子ども達の話も聞けず、相変わらず、自分を正当化することしか言えなかったので子どもたちから更に恨まれるようになってしまいました。子どもたちには自分の目の前で起こることしか記憶に残りません。それを大人が、どんな風に言ったとしても感じたことが全ててあり、思う事が全て。そのことを肯定してあげられず、否定ばかりの離れている親に対してならば余計に「見てないのに何を言っているの?」となってしまうのも普通。嫌なことばかり言う別居親に会いたいなんて子どもは思いません。それに私の子どもたちは、父親の変化を求めて期待もしていましたが離別前と変わらない考え方と言い分にガッカリしていました。面会交流のルール、お約束事のなかにも子ども達の今の生活を脅かすことはしてはいけないとあり非看護親は、同居親の悪口を言わないとあります。子どものためには、どんなことがあってもどんな気持ちになっても我慢するのが親心。そんなものもなかった・・・。なぜ、このようなルールがあるのかを継子が実母と再会するときに自分でメールしていたはず。実際、当事者になると、そこまで考えている余裕もなくなるのでしょうね。子どもはいずれ、自分のルーツを探るのに『親』というものがお、どんなものなのかを考えたり思い出したりもします。そこで、恨まれるかどうかは、『親』次第。ネガティブな感情を持ってしまうのは、とても心苦しいことだと思われますがそれもその子の気持ちだと認めてあげるのも大切です。自分も親になってみてわかりますが子どもが親に対して、耳触りのいい言葉ばかり言いませんし態度もそれなりに反抗する態度もします。あーっ!もうっ!と思えるのは親子としての認識があり絆があるから。思えないのは、親子というよりも他人で絆も何もなく許せないものは許せないと思えてしまうから。もともと、親子でも、後者のような関係もありますよね。とてもとても切ないですけど・・・人を許すのは、自分を許すのと同等です。「自分もそうだったし、あの人もきっとそうだったんだよね」って思えるようになる方が、だいぶ楽にもなれますが私の子どもたちが、父親に対してそんな風に思えるようになるのにはまだ少し時間がかかりますね。ただ、私の子ども達も、そんなことばかり考えて生活はしていません。今回の件で、子ども達の逞しさを身を以て教えてもらいました。偉いよ・・・ほんとに。私も見習います。