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カテゴリ:父の闘病
1月から入院していた父が、先週、他界しました。
病院の先生から、病状や余命をはっきり聞いていたので、 慌てることなく、姉やおばに連絡を取り、 無事に葬儀を終えました。 危篤のときは延命措置を絶対にしないでくれと 姉と私の一致した意見を先生に伝え、 先生は理解してくれました。 連絡をもらって10分くらいで病室に飛び込んだのですが、 残念ながら、数分の差で父は旅立ったそうです。 先生には自分たちの要望をきいてもらえたので、 間に合わなかったのは残念ですが、先生方には感謝してます。 それまで手や足首、足の指から点滴を受け、 栄養が取れないからとチューブを鼻から胃に通し、 そのチューブをとらないように、拘束をさせてくれと 医療行為だからと言われた後にサインを自らの手でしたことが 父が他界するよりも、なぜかつらかったです。 父は以前より安楽死を希望していたので (まだ安楽死は今の医学では認められてないので) チューブや拘束は父にとって不本意だったろうなと思います。 でも、必要な医療はしていかなくてはいけないという 病院としての使命もわかります。 拘束されていた父を見舞ったときは、 認知症がどんどん進んで、自分の状況がわかってなければいいな~ …なんてことも思いました。 看護婦さんの手が回らないときには お願いだから、おとなしく寝て、拘束をされなければいいけど …と拘束するところを想像したくなくて、 子供たちの世話に集中して、考えまいとしてました。 子供たちは父のチューブや点滴、拘束を見てました。 絶対治る、そのためにはこの治療が必要と思っていたようで、 死を伝えると、どうしてあんなに痛いことをしたのに…と怒ってました。 完治できないのに、なぜ医療行為を続けるのかについて 納得ができてないようです。 最近、パワーストーンに興味を持っていた長男は これは病気に効くんじゃないのかと、拾った石を 父のベッドの近くに置いてました。 とても余命については伝えず、そうだね~としか言えず、 子供たちをだますような結果になりました。 幸い?長男は次男の交通事故のショックで通っている カウンセリングがあるので、 そのまま通院して様子を見るつもりです。 私は両親の看病、介護などを自分の手でやってきたので、 悔いはありません。 なんで自分ばかりとは考えてません。 近くにいるのは私だけだから、仕方ないでしょう。 飛行機で2時間かかるところにいる姉に ちょこちょこ来いなんて、現実的には無理な話です。 看護や見舞いにいつも行けたのは夫や子供たちのおかげです。 幼稚園のママたちが子供を預かってくれたこともあります。 決して、私一人でやりとげたわけではないんだということを ずっと忘れずにいようと思います。 目の前で弱る姿は見ていてつらいものでしたが、 遠くに嫁いでいる姉は私よりも精神的にきつかったのでは? と思います。 が、姉は自分の考えを話すほうではないので、 今でもよくわかりません。 自分の気持ちの整理をきちんとできたらそれでいいと思います。 今は役所に書類を取り寄せている(といっても、姉や夫にお願いしてる状態) 段階で、書類が来てからやる作業以外はありません。 姉夫婦や夫がばたばたと動いてくれたので、 私はかなり楽をさせてもらいました。 とりあえず、たまった洗濯物をしっかり干そうと思います。 (今から4回目の洗濯です…) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2006年09月11日 11時01分53秒
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