|
テーマ:恋愛について(2607)
カテゴリ:信じること
(この言葉が好きな人、すみません。今日はさっと読み飛ばしてください。)
私は以前につきあった女性に非常に手の込んだウソをつかれていたことがあった。 手の込んだというか、その都度ウソで塗り固めたため何がなんだかわからないというか、ここに書くとそれだけで疲れるくらい。もしメモをとっていれば矛盾したところはすぐわかったと思うけれど、やっぱりその時は「好き」だから相手の言葉を本当だと思いたかったのだろう。 で、そのウソがばれたとき、運転している私の横で泣いている彼女がみるみる別の知らない人物に変わっていくような気がしてとても怖かったのを覚えている。(何をされるかわからないというような感じで。) そのときから私は非常に疑り深い人間になった(人のせいにするのは好きではないけれど)。また「信じる」という言葉を言うのが苦手になった。(だってウソだから。) つまり私の「信じる」ということは、 たとえ「そうじゃないかもしれない」と思ったとしても、無理に自分に「いや絶対そうなんだ。」と思い込ませることだ。 と、いうことになった。 そのくらいでないと「信じる」と言わない、あるいは「信じて」といわれた時、「絶対私は疑わないんだな」と自分に念を押すように。 その後は「信じる」という言葉が出るたびにこう言い換えるので、自分の事柄を相手に言う時に使うことはまずなくなったし、他人が使っているときには注意するようになった。 これも「永遠の愛」と同様(昨日のコメントで、にょ2006さんの言われたような)、「美しいけれど怖い」言葉じゃないでしょうか? (それとも私だけかなぁ。) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
[信じること] カテゴリの最新記事
|