古豪北海高校
私が小学生の時、父親に連れられて円山球場で初めて観た高校が北海高校だ。夏全道大会の準決勝で檜山北高校と対戦し、8-1くらいのコールドゲームで北海が勝利した。1アウト1,3塁からダブルスチールを決めたのをいまでも鮮明に覚えている。北海は決勝で苫小牧南を3-0で下して甲子園出場を決めた。甲子園では1回戦で兵庫の明石高校と対戦し、延長の末4-5(たしか)で敗れている。小学生だった私は当時少年野球チームに所属し、生活の半分は野球だった。甲子園中継も頻繁に観ていた。しかし、大人になった今とは当然違い、技術的なことはよくわからず、なんとなく憧れを持ちつつ眺めていた程度であろう。中学生になると野球部に入らず勉強ばかりの毎日であったが高校野球は非常に好きで、夏休みは一日中甲子園中継を観ていた。北海高校は全道屈指の強豪校で、まわりの野球をしている友達は北海高校に憧れを持っていたようだ。中学時代は春と夏に1回づつ甲子園出場をしていると記憶している。春は右オーバースローでストレートに球威のある西中投手を率いて初戦の西条農業に4-0の勝利。2回戦では上野監督・景山投手の宇都宮学園に敗れている。当時の北海道のレベルは全国に比べるとかなり低く、1回勝つと大喜びする時代だった。当然春1勝した北海は尊敬のまなざしでみていた。夏出場した時は山口の桜ヶ丘高校と初戦で対決し、コツコツ2点を先制するも中盤大量点をとられて敗退した。桜ヶ丘の左腕宇田村君はテンポ良く投球していてかなり強い感じを受けたが、次の帝京に1-13(たしか)と大敗したのをみて北海のレベルの低さにガッカリしたものである。その年は帝京が大越の仙台育英を破り優勝している。高校時代も一回出場しているが初戦の神港学園に2-3で敗退した。私が大学時代は2度出場し、一回目は金沢に敗れている。そして二回目は1994年に甲子園出場を果たす。私は大学時代北海道を離れていたため、北海道大会の状況はよくわからなかった。北海が出場したが、正直あまり期待していなかった。初戦は優勝候補だったらしい宇和島東と対戦。宇和島東の監督は上甲監督で、宇和島東とさいび高校で初出場初優勝をしている名監督の一人。私はこの試合を札幌に帰省中だったため観ることができなかった。(かなり後悔している。)札幌に帰ると宇和島東を5-4で破ったのを聞いた。さらに宇和島東は優勝候補で、そこを破った北海はかなり期待できる等を聞いた。北北海道から出場していた砂川北も初戦を突破し、北海道がアベック勝利をしたのは珍しくちょっとしたニュースになっていた。さらにこの両チームが2回戦で当たってしまったのは笑ってしまった。北海道同士が甲子園で対決するのは当然初めてのことである。当時試合ごとに抽選していたので、北海にはできるだけ弱いとこと当たって欲しいと願っていたが、まさか砂川北と当たるとは。優勝候補を破った北海と、山陰の弱いチームに接戦で勝利した砂川北では力の差は歴然だった。たしか10-0くらいで北海が勝ったと思う。さて、その時の北海のエースは2年生の岡崎で、ストレートの伸びが良く、追い込むとスライダーで空振り三振をとっていた。さらに牽制球が巧みで何度も牽制死をとっていた。今は室蘭シャークスで活躍しているらしい。3回戦は小松島西と当たり、打線が爆発して14-5くらいで圧勝していた。中盤で試合は決まっていたが、岡崎は全力投球していた感があり、交代して温存していてもよかったのではないかと今でも思っている。ベスト8入りした北海は佐賀商業と対戦する。佐賀商業は北海と同様に2年生エースの峯を中心とし、この大会に結果的に優勝を果たしている。勢いに乗っている北海が有利とみていたが、北海の先発したピッチャーは初登板の3年生鈴木であった。北海の試合は第四試合で夕方近くに始まり、私はその時ゴルフをしていて、ラウンド終了後ロビーでTVを観ているオヤジが岡崎を先発回避したのを「温情采配だ!ふざけるな!」と激怒していたのを憶えている。たしかに鈴木先発は失敗で、3失点くらいして早々と岡崎がマウンドに立つ。それでも岡崎もある程度打たれ3-6で残念ながら敗退してしまった。途中雨の中断が入り、TV中継が終了し最後はラジオで聞いていた。終わったのは8時をまわっていたと思う。今思うと、その年の北海は投手・打撃がずば抜けて良く、さらに勝ち方もよかったので優勝してもおかしくなかったと思う。それでも夏甲子園ベスト8は見事で、北海ファンになる一因であったのには変わりない。その後社会人になり、北海も監督が若い平山監督に代わった。一度甲子園出場を果たすが徳島商業に初戦負けをし、その後の出場は無い。さらに駒大苫小牧、北照といった新勢力に押され気味の北海は影が薄くなってしまった。それでも私が北海ファンであるのは、昔の思いいれがあるためで、また”HOKKAI”の伝統のユニフォームを全国で観たいものである。