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カテゴリ:育てる
年を取ると今までできていたことがだんだんとできなくなってくる。
しかし、気持ちはまだできるつもりなので、その現実とのギャップに戸惑うわけだ。 介護の問題って、実はそこにあるんじゃないかと思う。 高齢者の運転免許の問題もそう。 ある日突然に運転ができなくなるわけではないので、本人は普段と変わらず運転ができると思っているわけだが、傍から見るとかなり危うくなっている。 そこで本人に運転を止めることを提案すると反発をくらうわけだ。 日常生活でもそれは同じで、徐々にできていたことができなくなってくるので、本人の中ではまだまだ大丈夫なのだが、傍から見るとやはり支援が必要なのではないかと思うわけだ。 それでもまだ一通りのことが自分の力でできる間はいい。 それが怪しくなってきたときに「介護」という二文字が浮かんでくるのだが、実はそのときはもう「介護」が必要になっているときだ。 もっと手前の「なんか動きがあやしいなあ」と思い始めたときには介護について考えないといけない時期にきている。 介護も最初は間接支援で手すりを付けたとかバリアフリーにしたとか生活環境への介入から始まるのだと思う。 が、徐々に直接の支援が必要になるときがくる。 トイレであったり入浴であったり。 ここまでくると、家族での支援が難しくなってくる。 食事や入浴はまだ時間が決まっているので、ヘルパーさんをお願いするとかでもいい。 歩くのが難しくなるとか、トイレに介助が必要となると、もう24時間体制での支援が必要になると考えなければならない。 ここまで来て「施設に入ってもらうか」と考えたのではもう遅いと思わねばならない。 今、介護施設ってなかなか空きがない状態なんだ。 仮に1か月待ちとなったときに、その期間をどうする? 家族でがっつり介助できる体制があればいいかもしれんけど、親が70歳とか80歳とかになったとき、子どもは40代から50代くらいではないかい? まだ子どもは働いている年代で、下手すると高校生とか大学生の子どもがいたりする。 当然、生活、就学のためにお金が必要な時期だ。 そんなときに仕事をセーブしてでも介護ができるのであればいいかもしれんけど、そこまでの余裕がなければ、やはり他に頼らねばなるまい。 そこに直面したときに、いざ「施設を」となってもすぐに対応ができなかったりするわけだ。 そうなると、まだ動けるうちに対応を考えないといけないのだが、そこで問題になるのが「現実とのギャップ」だ。 本人はまだ自分でできると思っているし、実際にまだなんとかなっているからな。 そんなときに「施設に入らんか?」なんて言っても「そんなとこ行かんでもまで家で生活できる」と言われて終わりだ。 多分、実際にはいろいろと問題が出始めているころなんだけどな。 本人が「なんでこれができんのだ?」と感じたときが説得のチャンスではないかと思うわけだ。 例えば座っている椅子から立ち上がるとき。 足腰が弱ってくると、立つのが難しくなってくる。 今まではすっと立てたのに、うまく立てなかった、そんなときをよく見ておくことだ。 そして「あのときに立てなかっただろう?」と言うと本人は認めたくなくても事実として覚えていれば「そろそろか」と思ってくれたりするだろう。 厄介なのはそれを覚えていないやつ。 だけど、事実立てないのだから、自分一人で日常の生活が難しいと感じたときを上手くとらえるのは大事だと思う。 そんなこんなで、家族が一人、家を離れた日。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2023年04月04日 05時52分38秒
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