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介護疲れという言葉がときどきニュースに出てくる。 これは今、けっこう深刻な問題になってきているのは間違いない。 昔はこういう問題はなかったのかというと、多分あったと思う。 が、いろんな意味で介護を補完するものがあったわけだ。 まず、3世代の同居が普通だったこと。 たいていの場合、長男は家督を相続するため、家を出ることはなかった。 それから、共働きというのがあまりなかったこと。 なので、介護の実態は長男の妻が行っていたわけだが、それが妻の家事の範疇に入っていたということだ。 そして、そもそも今のように寿命が長くなかったというか、医療が今のように充実していなかったため、寝たきりになるということはそう先が長くなかったということだ。 さらに言うと、老人遺棄の習慣があったこと。 いわゆる姥捨て山だ。 そのように良くも悪くも介護を行う環境があったということだ。 が、今はどうだ? まず3世代同居なんてさざえさんの世界になってしまっているだろう? まれに同居している奥さんは周囲から「大変だねえ」と。 それに同居していてもやはり共働きなのだ。 そんな状態で親の介護ができるか?と言われると、無理だ。 今は介護保険もあり、施設に入れたらいいじゃないかと思うだろうが、なんでか知らんけど、施設に入れることに世間は冷たいわけ。 「親を捨てるのか」とね。 まるで施設が姥捨て山みたいに見られてるんだな。 だけどね、今はその施設に入れることすら難しいわけ。 施設に入れることができたら、その人はけっこうラッキーだと思わないといけない。 となると在宅介護という話になるが、そもそも先日も書いたようにその在宅介護すら今は大変な状況だ。 介護サービスを使うには介護支援専門員、つまりケアマネージャーさんがプランを立てないといけないわけ。 そのケアマネージャーさんがいないのだ。 まず、ケアマネージャーさんを捕まえることから苦労するわけだ。 施設に入るだけなら、自分でできたと思うのだけど、その施設もなかなか空いてないしね。 で、施設に入れてもお金がかかる。 本人が年金とかで賄えるだけの収入があればいいけど、そうでなければ、だれかがその金をねん出しなければならないのだ。 それができなえれば、自宅でだれか、たいていは子どもだな、がみなければならない。 同居も大変だが、別居も大変だ。 認知症とかだと体は元気なもんで、いろいろと問題が起こるわけ。 そんな状態が続くと、結局は同居せざるを得ないとか、介護のために仕事に制限がかかる、最悪は仕事を止めるという事態になる。 昔と違って、制度はあるけど、それを十分に使える環境がないわけだ。 そして、その基盤となる経済力もなくなりつつある。 この状態はまだ20年くらいは続きそうなのだが、国はとてもあてになりそうにないしなあ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2023年10月27日 05時54分57秒
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