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LGBT法案が出たときに懸念されていたことがさっそく現実のものになってしまうとは... 「心は女性」と言って女性風呂に入った40代の男性が逮捕されたという。 「心は女なのに女湯に入ってはいけないのか理解できない」と主張しているというが、ここでふと思ったことがある。 「心は女性」ってなんだ?ということ。 一般的に男性と女性を区別しているのは身体的特徴による。 というか、それ以外に区別のしようがないと思うのだ。 それはあくまでも物理的な面での話。 姿形に加えて、その機能的な部分を持って男女を区別している。 法的には戸籍に記載されている男女で区別される。 で、精神的な部分でどうやって区別する? そもそも精神的な部分で男女の区別ってあるのか?と。 「男らしい」とか「女らしい」という言葉があるけど、これはどちらかというと社会的振る舞いによるものだと思われ、精神的なものではないような気がする。 言い方は悪いが、「男のくせに女みたいな」と言うとき、それは精神面の話ではなく、外見的に見られる行動であるとか態度を指しているのだと思う。 例えば女性トイレに入るとか女湯に入るというのは外見的特徴により女性とされる人が規範づけられている行動様式なので、精神的なものではないと思うが、今回はここがポイントになっているな。 つまり、「女性トイレに入る」「女湯に入る」という考えを「心は女」だと主張していると思われる。 が、それは社会通念というか常識という範疇に入ってくると思うので、心はどうという話ではない。 批判にあったが「女性なら外見は男性が女湯に入るのをヨシとはしないだろう?」というのが女性の一般的な感情ではないかな? となれば、心は女性でも外見が男性である以上、他の女性から見るとそれは男性が女湯に入る行為にしか見えず、それはヨシとされないのだと認識するのが「心は女性」ではないかなと。 で、ここまで書いてもまだ分からないのが「心は女性」ってなんだ?ってこと。 誰かこれを的確に説明してくれないかなあ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2023年11月16日 05時51分45秒
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