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元旦の夕方に発生した能登半島の地震。 だんだんと被害の状況が明らかになり、それにともなって被害も拡大してきている。 すでに地震が起こってから9日となるが、石川県知事が7日に非常事態宣言を発令。 これに対して宣言のを出すのが遅いと批判が出ているという。 現地から批判が起こるのは致し方あるまい。 県は一週間の間、何をしていたんだ?と言いたくもなるだろう。 元旦には自衛隊に出動要請をしているのだが、「翌朝から」と言っていたのだという。 これも現地にとってはぬるい対応と言いたくもなるだろう。 しかし、今回はテレビを見ている限りでも情報伝達が遅いと感じていた。 元旦から二日にかけて、被害の状況は金沢であるとか福井、富山といった比較的震源から離れているところの情報ばかり。 震源地直近の珠洲市であるとか輪島のあたりの情報ってかなり限られていたと思うのだ。 しかも2日までは津波警報も出ていたわけだ。 能登半島では孤立していた地域もあり、情報把握に時間がかかっていたのは事実。 その中でようやく事態の全容が明らかになってきたのが4日ころからではなかったかと思う。 津波の被害についてはもっと遅かったのではないかな? その中で自衛隊への要請が「翌朝から」となっていなかったとしてもおそらく自衛隊もすぐに動くことはできなかっただろう。 現地の情報は全くと言っていいくらい入っておらず、そのルートで現地に行けばいいかも分からない状態。 しかし、自衛隊は地震直後から情報収集活動を始めており、緊急の招集がかかっていたと聞いている。 なので、元旦には要請が出ており、自衛隊は現地に向かうべく準備を進めており、実際の行動が「翌朝から」となっても別に遅いという話にはなるまい。 これを、「夜だろうが津波警報が出ていようが現地にすぐに向かえ」というのは「敵地になんお作戦もなく突っ込んで行け」というのと変わるまいよ。 県としても、情報がなかなか上がってこない中で「何か分からんがとりあえず非常事態宣言だ」とも言えまい。 県もそれまで何もせずに通常業務を行っていたわけではあるまい。 当然、宣言などでなくても県の職員は情報収集とその後の対応の準備を進めていただろうし、それが「宣言」という形になったのが7日だということではないのか? 実際に宣言など出てなくても救助活動は始まっていたわけだし、自衛隊もあらゆるルートからの侵入を試みていたし。 呉からおおすみを展開して出航の翌日には現地で作戦を展開しているし。 現地としては「なんとかならんのか?」という気持ちはよく分かる。 しかし、救助者の安全の確保は救助の大原則。 その中で最善を尽くしている消防、警察、自衛隊の人たちがいるわけで、決して怠けているわけではない。 ましてや県はこれから復旧に向けて動かねばならないわけだ。 ちなみにインフラの復旧がというけど、その復旧する業者も被災しているという事実を認識できているだろうか? 外から呼んでくるにも、その体制を整えないと、現地は今大渋滞なんだろう? そういったことを考えると、今回の非常事態宣言を出したのが、批判されるまでに遅いとも言えないと思うんだがどうだろうな。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2024年01月09日 06時03分11秒
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