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どうしても柔道は誤審だなんだと揉めるネタが尽きないな。 その根底には「日本発祥の柔道で外国勢に負けるわけにはいかない」という考えがあるのではないかと思っている。 まあその考えは分からないでもないが、競技としての柔道である限り、日本だけが勝ちを独占できるものではないということは自明の理だ。 私が思うに、日本は柔道をどう定義づけるかが曖昧になっていて、そのときどきによって立ち位置を変えているのが原因ではないかと思う。 「柔道は武道かスポーツか」というものがずっとついて回っているんだけど、日本の柔道界はそこをはっきりさせていない。 というか、おそらく普段は「柔道は武道である」という立ち位置にあるのだと思う。 ならばそもそも勝ち負けというのは重きを置くものではないと思うのだが、今の柔道界はどうみても勝ち負けに重きを置いている。 もし、武道としての柔道でありたいと思っているなら、試合に負けて鼻水たらして号泣するようなことはないだろう。 これはあまりにも相手に対して失礼な行為だと思う。 負けた己の未熟さを反省し、勝った相手を褒め、敬意を払うのが武道としての柔道だと思っているからな。 本来なら背中から落ちたら1本とかではなく、自分が「これはやられた」と思ったら勝負あり、なのだ。 昔の立ち合いはそこで勝敗が決まっていた。 それを認めないと、怪我をし、死に至るということだ。 だからお互いギリギリのところを攻めながらも寸前で止めていたわけ。 そうではなくて、ルールを決め、どうなったら勝負ありなのかを決めて行うのは、これはもうスポーツの範疇になるのではないかな? 唯一、今の柔道に武道の形が残っているとすれば、「参った」の合図だろうな。 締められた、極められたときに自ら負けを認める「参った」が武道の名残と言えるだろう。 寝技で抑え込んで30秒で1本と...いやまて、今はもっと短いのかな?まあ規定の時間を過ぎたら1本になるわけだが、私はその昔、「30秒もあればとどめを刺すことができるから」と言う風に教わった記憶がある。 今はなんで短くなったんだろうなあ。 もはや柔道はルールから逃れられない状況になっており、今回の騒動もルールがあるからこその話だ。 「待て」の合図で試合を止めねばならないというのもだし、指導3回で負けるってのもそうだし。 武道として考えるときに、なんで指導を3回されたら負けなん?って思うわけだ。 倒されないように逃げるのも武道としてはアリだと思うんだが、それがなんでダメになるのか? 判定も難しいよね。 1本と技ありの違いですら、言葉では説明できるけど、実際の試合の中では実に曖昧だと思う。 寝技の「抑え込み」ですらずいぶんといい加減...というと言い過ぎか、曖昧だと思う。 柔道ってそういうものなんだから、日本の目線と海外の目線が違うのも当然。 柔道は競技として成立させるために「投げられて背中から落ちたら1本」とされており、投げられ方は問われていない。 そこまで言うと訳が分からんなるからな。 まあ、柔道ってそういうもんなので、そろそろ競技、スポーツとしていくのか武道でありたいのかをはっきりさせる時期にきているのではないかねえ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2024年07月30日 06時02分30秒
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