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カテゴリ:その他
79年。 日本が直接戦争に関わらなくなってから79年。 その間にも世界のどこかで戦争が起こっていた。 今も戦争をしている国がある。 しかし、人間の理性...いや、恐怖が79年間核兵器の使用を封じてきた。 79年前の今日、世界がその威力と恐怖を目の当たりにしたから。 その威力を見ると浸かってみたくなるのだろう。 北朝鮮が、ロシアがその誘惑に駆られているようだ。 しかし、自らその体験をしたくはないらしい。 今は核兵器を使うと、間違いなく核兵器での報復を受けることになる。 一瞬の満足感を得るとともに、その地獄を見ることになる。 その恐怖が79年間核兵器の使用を躊躇わせてきたのだろう。 決して人間の理性が押しとどめたのではない。 なぜなら核兵器は無くなっていないから。 だけど、いつかその恐怖は人間の記憶から消えていく。 広島に原爆が落とされてから79年。 あのときを知っている人はもう数少ない。 大半の人は写真で、映像で、話を伝え聞いて...間接的にその恐怖を体験しているに過ぎない。 白人どもは盛んに広島に来ては平和公園を訪れているが、そこにある景色をどのように感じているのだろうか? 自分たちの強さを再認識するために来ているのだろうか? だけど、広島、長崎の存在が79年間、核兵器の使用を止めてきたと信じたい。 しかし、これからもそうであり続けるだろうか? 79年前はその恐怖を誰も知らなかったゆえにその威力に魅せられ核兵器を使うことを選択した。 しかし、今は違う。 その威力の裏にある恐怖を知っている。 それでも使うか? 自ら体験する可能性を考えることはできないか? 79年間、未だにその恐怖を伝え続けている広島、長崎はいつまであり続けるか? 親の世代は、そのときを見ている。 が、私の世代はもう知らないのだ。 次の世代は「何それ?」となるだろう。 そんな奴らが核のボタンを押す立場になるのだ。 今日は晴れ。 一日暑くなりそうだ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2024年08月06日 05時57分55秒
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