タクシー
一年半かけて作ってきたシステムが昨日、ようやくデビューした。最初の稼動が始まる夜の11時に立ち会うために、時間を遅らせて出社した。思えば長かった。というような感慨もなくこの日を迎えた。遅らせて出社したのは、さしあたりすることもなかったからだし、午後3時から待機していても、夜の11時まではこれといってなにもすることがなかった。思えば長かった。というような感慨は、繰り返しいうようだがまるでない。忙しかったとか、苦しかったとかいうわけではなかった。どちらかというと退屈だったが、かといって達成感がまるでないわけではなかった。我々の仕事は、コンピューターシステムを作り上げることである。その目的は、今までコンピューター以外がやってきた仕事をコンピューターにやらせることによって、人の負担を軽減させることにある。あるいは、使いづらかったり煩雑だったりした既存のシステムを、より使いやすく、より簡潔にするための、改善した概念を提供するところに意義がある。我々はあまねくシステムを、世に送り出し人のために作り続けてきた。仕事における事務量は軽減され、安全や信用の確保といった付加価値も多く見出されてきただろう。しかし、仕事の総量は減っただろうか。コンピューターシステムの目的は、人の仕事を楽にすることである。よしんば仕事が楽になったとして、その結果が、我々にとって本当に楽なことなのだろうか。いままで8時間かけてやっていた仕事がコンピュータによって簡略化されたとして、2時間ですむようになったとする。残りの6時間を遊んで暮らせるかというとそうではなく、別の仕事のために充てられる。別の仕事をしていたほかの人の仕事がなくなる。ほかの人はほかの仕事を探すために時間を使う。動き回っていないと金を稼げないから動きまわっているのにその一方で我々は、その動き回ることの負担を少しでも減らそうと知恵をめぐらせて仕事を簡略化し、より無駄のない動きをしようとつとめる。その結果もっとうごきまわらなければならないハメになるに決まっているのに、ヒマさえあれば仕事のやり方を改善しようとする。仕事を改善しようという発想は、仕事が出来ないやつから生まれることのが多い。仕事が出来やないやつは、自分ひとりじゃ何もこなせないから、替わりに誰かにやってもらうか、仕事そのものをなくしてしまうかするような悪知恵がよく浮かんでくるらしい。そういう奴を一般的には「要領がいい」とよぶ。元は蔑称のはずのこの呼称が、いつしか「仕事のできる人」と同義になってきたのもきっと、要領がいいやつの悪知恵によるところのものだろう。我々システム屋は、そんな要領のいい奴に使われてこそ真価を発揮するものであるが、それが果たして世のため人のためになっているかというと、そんなわけはない。で、話がそれたままになっていたけれども、1年半がかりのプロジェクトが、ようやく昨日、陽の目をみた。特権者のIDカードがないと入れないコンソールルームの監視端末で、ステップの進捗を現すアイコンが無色からグリーンに替わってゆくのを、じっと見守っていた。これがハリウッド映画なら、50人ぐらいで大型スクリーンと向き合っているところだったが、静まり返ったコンソールの前にはオレを含め3人しかいない。しけたはなしだ。アイコンが一つずつ緑色に染まっていって、やがて全ての処理が終わったことを告げられたときオレは思わずオペレーターのような気分になって、「オールグリーン。異常ありません。やりましたね、艦長!」とはいわない。しーんとしたままだった。ねぎらいの言葉一つもない。なんとなくみんな、つかれた表情をしていた。タクシーで帰ることにした。タクシーに乗る前にビールを買った。誰よりも先に祝杯を揚げたかったからだ。オフィスビルの正面にタクシーたちは、残業の客待ちで行列になっていた。タクシーには禁煙を告げるステッカーが貼られていた。おまけにシートベルトの着用を求められた。1年半で、世の中はこうも変わっていた。オレがしてきたことはいったいなんだったんだろう。とも思わない。よもや禁酒とまではいわないだろう。タクシーが走り出してすぐ、オレは缶ビールをあけた。