アイスマン発見 19日の日記
クロニクル アイスマン発見1991(平成3)年9月19日あれから30年経ったのですね。この日、ヨーロッパアルプスの氷河で、約5300年前の男性のミイラが発見され、「アイスマン」と名付けられました。発見場所のエッツ渓谷は、オーストリアとイタリアの国境地帯に当たりますが、発見されたのは、国境を僅かにイタリア側に入っていたことから、発見者はオーストリアの記者だったのですが、ミイラはイタリア警察に引き渡されました。なぜ警察か。それはミイラといえども死体は死体だからです。アイスマン発見のいきさつとその後は以下の通りです。アイスマンの発見者は、アルプスの登山道から離れた場所を歩いていた、ニュルンベルクからの観光客夫妻でした。当初は、遭難者の遺体と見られていたのですが、遭難者の遺品と思われる物品が、現代のものとは思えなかったことから、遺体を解剖に付す前に、考古学者に鑑定を依頼したところ、遺品が青銅器時代前期のものと判明し、にわかに世紀の大発見と話題になったのです。それにしても、さっさと司法解剖していたら、せっかくの青銅器時代人のミイラが、形を整えないことになっていたのですから、まさに危機一髪。考古学者に解剖前に鑑定を依頼した判断は、大ヒットだったのです。遺体が5千年前のアイスマンとなると、学術的にも観光資源としても、大きな価値を持ちます。発見場所はオーストリアとイタリアの国境地帯ですから、当初連絡を受け、遺体を収容したのは、オーストリアだったのですが、ここにイタリアの政府や警察も乗り出し、調査の結果、遺体の発見場所が、国境から僅かにイタリア側に入っていることが判明し、渋るオーストリアも、やむを得ずアイスマンの遺体をイタリア側に引き渡したのです。このアイスマンについて、現在もイタリアの南チロル考古学研究所が調査を続けているのですが、同研究所で作られた精巧なレプリカが、所持品のレプリカと現在までの研究成果を付して、現在も世界各地で巡回展示されています。日本でも名古屋で開催された「愛・地球博」に合わせて、名古屋ボストン博物館で「アイスマン展」として展示されました。さて、アイスマンは冷凍保存されてきたのですが、2012年にはじめて解凍調査が行われ、瞳と髪の毛は茶色、肌は白、身長160cm程度、体重50kg前後、骨の分析から年齢47歳前後などが明らかとなりました。体系は筋肉質で、腰椎すべり症を患っていたことが分かっています。持ち物には、作りかけの矢や銅製の斧が含まれており、銅の純度が99,7%もあることから、大変高度な銅の精錬技術が、当時既に普及していたことが明らかになっています。なお、アイスマンの血液型はO型、動脈硬化の要因となる遺伝子を持っていたことも、明らかになっています。ではアイスマンの死因は何かというと、2001年実施のX線検査で、左肩にやじりが見つかり、矢に射られて亡くなった可能性が高まりました。その後2007年になってコンピューター断層撮影が行われ、動脈損傷による失血死であることが明らかになりました。右眼窩に骨にまで達する深い傷があり、さらに後頭部に即死に到る量の脳内出血の痕跡が認められることから、彼を矢で射た者が、とどめをさすために、倒れたアイスマンを後方から石などの鈍器で、打撃を加えたであろうことが、推察されました。また、アイスマンの身体に付着していた花粉などの分析から、彼の死亡時期は、晩春と推察されています。