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カテゴリ:大切なもの
先日、退職願いの書類等をもらった。
なんだかんだでもう2月。病院とも、大阪とももうじきお別れ。 なのに、引越し先も決めてないし、4月から本当に転職するのか、 自分でも実感がない。 仕事は相変わらずきついし、一年目さんの進歩のなさは恐ろしい。 ここに新人さんがくるなんて、4月からはめちゃくちゃ厳しいと思う。 皆が愚痴る中、イチヌケして本当に申し訳ない。もう十分頑張っている 同僚達に「頑張って!」なんて言えない・・・ あと2ケ月ないけど、皆と働ける最後の機会。しんどいなんて愚痴 ってばかりいないで、噛み締めたいと思うのに。 今日は節分。 街は、節分とバレンタインデー商戦で大賑わいだった。 でも、私にとっては、どちらも特定の人の事をしんみり思い出す日。 節分は、音信不通になって4年たつ、ある友達の誕生日。 「節分生まれやから、まめまめしく育った」らしく元気な人だったけど、 嫌な途絶え方だった。4年たっても彼の行動を支持できない。 節分になると、毎年思い出してしまう。楽しかった事と、解せない事を。 偶然でもいいから、もう一度会って話がしたいな・・・ 5年前のバレンタインデーは、学生時代の友達のお通夜だった。 看護学校の友達で、卒業後は違う病院で働いていた。就職2年目か3年目 の夏のビアガーデンで、彼女はとても疲れていた。頭痛と視力の低下が でているって言ってたけど、本人も私も友達も疲れだと思っていた。 でも、10年以上前に手術した脳腫瘍の再発だった。 それからの闘病生活。強い治療をしたけどよくならず、どんどん悪化する 中で、副作用で容姿が変わり、痙攣や記憶障害がでてきた頃、お母さんが お見舞いに来てほしくないという事を遠まわしにおっしゃった。 それからは季節の変わり目にお見舞いの手紙をかくだけになった。 5年前の冬の初めに、突然お母さんから電話をもらったて「お見舞いに来て ほしい」って言われた。嫌な予感はあたった。 意識はあったけど、目を合わしたり、頷いてくれるのがやっとだった。 職場で、そういう患者さんや家族を何人も見てたけど、頭が真っ白になった。 友達やお母さんに、なんて声をかけたらいいのかわからず、ひたすらおろおろ した。お母さんが、病状についてや(お葬式用の)写真を選んでいるのって おっしゃってた事、友達の手を握った事しか覚えていない。 お通夜の晩は、雪が降っていた。 友達の名前が看板に書かれているのを、ひたすらぼーっと眺めていた記憶がある。 お母さんが選ばはった写真は、帽子を被って少女みたいにかわいく笑っている写真 だった。 その後、納骨前にお参りをさせてもらって、肩身のお品を頂いた。 あの春から、再就職で大阪に来た。 携帯電話のメモリは今もそのままだし、バレンタインデーも4回きたけど、一度も お参りに行かなかった。行こうと思いながらも勇気がでなかった。 来週、仲の良かった友達と3人でお参りに行く予定。 心がざわついています。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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