今日は墓参。
毎月、月の始め頃に行く恒例の墓参である。あと、お盆と年末に行くのが小生の習慣になっているから、今月は30日か31日にもう一回お墓参りすることとなる。
(生駒山系の山、墓から北東方向を眺める。)
墓は山の西斜面にある。西方向を見ると大阪平野が一望である。しかし、今日は霞がかかったようなぼんやりした風景。いつも見える阿倍野ハルカスもよく見えない。
振り返ると山が迫っている。上の写真は墓から北東方向を眺めた風景であるが、写真、左に黄色に輝いている木は銀杏の木である。
帰途は山裾を辿って、この銀杏の木の下まで行ってみた。
今朝のTVで銀杏は恐竜が居た頃からあった木で、「生きた化石」と呼ばれていること、気候の変化にも耐えて中国の奥地にのこっていた木が中国から我が国に入って来た、というようなことを言ってましたが、万葉歌には銀杏は登場しませんから、平安期以降に渡来したものであろうか。
ヨーロッパの銀杏は長崎からヨーロッパに持ち込まれたものが広まっているらしいから、イチョウは中国→日本→ヨーロッパというのが広まったルートのようです。街路樹や公園、寺社などの植樹として代表的なものですから、「生きた化石」というのは失礼な気(木)もしますな(笑)。
「生きた化石」と言えばメタセコイアもそのように呼ばれますが、最近はメタセコイアも公園などでよく目にするようになりました。小生の銀輪散歩の基地でもある花園中央公園にもメタセコイアが植えられていて、いい景観を作り出しています。
<参考>イチョウ・Wikipedia
(イチョウの木)
さて、冒頭の写真で山裾の左隅に目立って黄色く輝いている、イチョウの木に近付いてみると、上の写真のような具合でした。
鐘つけば銀杏散るなり建長寺
(夏目漱石 明治28年9月6日海南新聞)
柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺
(正岡子規 明治28年11月8日海南新聞)
子規の「柿」の句が漱石の「銀杏」の句の「本歌取り」であることは、いつぞやの若草読書会で凡鬼さんから教えて戴いたこと。
寺の鐘と銀杏の組み合わせは寺の風景としてはありきたりで普通。「柿をくふ」ことと「寺の鐘」を結び付けた処が新鮮で新境地・・だから、子規の句の方がすぐれているというのが一般的な評価のようです。
ならば、偐家持も、意外な組み合わせで、 牡蠣くへば合歓の花散る蚶満寺 (筆蕪蕉)
とでも致しましょうか。牡蠣と合歓の花と象潟の寺、この組み合わせも独自ですが三つがバラバラでまとまった景色にならないから、新境地も何もあったものではない、という評になりますかな。
牡蠣焼けば潮満ち来なり厳島 (筆蕪蕉)
(墓参の道にある寺の門前の今日の言葉)
今日の墓参の「言葉」は「はだかで出発する」でありました。
墓への道は急坂にて、今日は暖かくもあった所為か、上るうちに暑くなって来て、途中からは上着を脱ぎ、シャツを腕まくりして行きました。「はだかで行け」というのが寺の門前の言葉でありましたが、さすがにはだかはご勘弁でありました(笑)。
山茶花も 腕まくりして 墓参り (筆蕪蕉)