クヌギの黄葉も日に照りて輝くと、なかなかに美しいが、カエデやイチョウなどのように、この「もみぢ」をわざわざ見に行く人は居ないだろう。
美しいと言っても、それは夜目遠目の類で間近くで見るとそれ程美しくもなく、いかにも地味なのであるから、致し方のないことである。
そんなクヌギであるが日に照らされて美しく輝く一瞬もあるので、今日はそのようなクヌギの黄葉をご紹介して置くことと致しましょう。
もみぢなるは かへでいてふと 人は言へ
われつるばみも よしとや言はむ (偐家持)
(クヌギの黄葉)
クヌギの実(ドングリ)のことを万葉では「つるばみ」と言う。
もっとも、「つるばみ」については、クヌギではなくトチノキやイチイガシのことであるとする説もあるようですが、此処ではクヌギ説を採用して置きます。
クヌギは炭焼きの炭の材料になったり、薪として利用されたり、椎茸栽培の原木に使われたりと人々の生活に密着した樹木である。里山にこの木が多いのも古来人々に利用されて来た有用な木であるからだろう。クヌギという名も「国木」が訛ったものだという説もある。
(同上) (クヌギの巨木)
そのような生活に密着した木は万葉歌には相応しい木であるというべきであるが、古女房とかの喩えにも使われたりしているのは、まあ、この地味な木ならではと言うべきですかね。
橡の 衣は人皆 事無しと いひし時より 着欲しく思ほゆ
(万葉集巻7-1311)
<つるばみ染めのように目立たない衣が無難であると皆が言うので、それを聞いた時以来それを着たいと思うようになったことだ。>
橡の 解濯衣の あやしくも 殊に着欲しき この夕かも
(同巻7-1314)
<つるばみ染めの粗末な衣の、それもほどいて洗い直したのを、不思議にも、とくに着たいと思われるこの夕暮れであることだ。>
橡の 袷の衣 裏にせば われ強ひめやも 君が来まさぬ
(同巻12-2965)
<つるばみの袷の衣を裏返しにするような態度ですから、来て欲しいと無理強いなど、どうしてわたしが致しましょうか。それにしてもあなたはいらっしゃらないのですね。>
橡の 一重の衣 うらもなく あるらむ兒ゆゑ 恋ひ渡るかも
(同巻12-2968)
<つるばみの一重の衣のよいうに裏もなく無邪気に私のことを気にもかけていないあの娘なので、私は恋続けることだ。>
橡の 衣解き洗ひ 真土山 本つ人には なほ如かずけり
(同巻12-3009)
<つるばみの衣を解いて洗って打つ槌の真土山ではないが、元々の人がやはり一番いい。>
紅は 移ろふものそ 橡の 馴れにし衣に なほ及かめやも
(大伴家持 同巻18-4109)
<紅色は華やかだが直ぐに色褪せてしまうものだ。つるばみ染めの慣れ親しんだ衣に及ぶものではない。>