第132回智麻呂絵画展
本日は日米開戦の日ですが、それも今は昔のこと。それとは何の関係も無き智麻呂絵画展を開催致しまする。
本日午後から智麻呂邸を訪問致しましたが、生憎とカメラを持参するのを忘れていました。仕方なく携帯電話のカメラ機能で撮影しました。
最初の2点は先の読書会の日(11月30日)にいつものカメラで撮影したもの。「銀杏の葉」から下の5点が携帯電話による撮影です。ということで、少し写りが良くないかも知れませんがご勘弁願いたく存じます。
<参考>他の智麻呂絵画展は下記から。
第1回展~第100回展
第101回展~第200回展
第201回展~
(蜜柑)
この蜜柑は定期に検診に行かれる病院の向かいのお庭に生っていたものです。勿論、無断で失敬されたのではありません。庭に出て居られたその家の奥さんが、智麻呂さんに「どうぞ」と枝から切り取って下さったものだそうです。恒郎女さんのお話では、その奥さんとは顔見知りというのでもないという。
智麻呂さんの人懐っこい笑顔がそうさせるものか、このように行く先々で果物だの花だのを下さる方がよくあるそうです。ブロ友のるるらさんは智麻呂さんを仙人とお呼びですが、ひょっとすると智麻呂さんはお地蔵さんかも知れませんですね。お地蔵さんの前には花や果物などのお供えがいつもありますからね(笑)。
(山茶花)
これは一重咲きの白い山茶花。
小万知さんがお持ち下さったものです。
下の銀杏の葉も小万知さんが絵の題材にとお持ち下さったもの。
この銀杏以下5点は携帯での写真でピントが甘くなっています。
(銀杏の葉)
(大根)
上の大根と下の蕪は凡鬼さんが栽培されたもの。先の読書会の折にどっさりお持ち下さいました。凡鬼さんは中国古代史だけでなく「野菜栽培」にもお詳しいのであります。
大根は万葉には詠われていませんが、蕪は1首あります。
食薦敷き 蔓菁煮持ち来 梁に 行縢掛けて 休むこの君
(長意吉麻呂 万葉集巻16-3825)
<す薦を敷いて、青菜を煮て持って来なさい。家の梁に行縢を掛けて休んでいらっしゃるこのお方に。>
(注) 食薦=食事の時に敷く薦。
蔓菁=かぶら菜のこと。蕪に限らず葉の青い菜の総称とも言
われる。
行縢=熊や鹿などの毛皮で作った、腰に巻いて前に垂らして
脚や袴を覆うもので、旅行や狩猟の際に用いられた。
(蕪)
下の林檎と梨は、先の読書会に皆で食べようとヤカモチが持参した果物ですが、その残りもののようです。
(林檎と梨)
万葉に梨はあるが林檎は無し。無しなのに有りとはこれ如何に、ですが、元々は「なし」は「無し」ではなく「成し」から来ている言葉なのであるから、矛盾は「なし」なのである(笑)
黄葉の にほひは繁し 然れども 妻梨の木を 手折り挿頭さむ
(万葉集巻10-2188)
<もみじは多くの木々を彩っているが、わたしは妻となす梨の木を手折って髪に挿そう。>
下の苺は恒郎女さんのご友人(お名前は忘れました)からの戴きものだそうです。
(苺)
栗はイガを剥くと実が三つ入っているのが普通。それで「三つ栗の」というのが「中、なか」の枕詞になっています。果物も三つ並べると絵になる、ということでしょうか。もっとも、冒頭の蜜柑は二つですが、まあ、これは「お供え」ですからね(笑)。
三栗の 那賀に向へる 曝井の 絶えず通はむ そこに妻もが
(高橋虫麻呂歌集 万葉集巻9-1745)
<三つ栗の中ではないが、那賀に向かって流れ出る曝井のように、絶えず通って来ましょう。そこに愛しい妻も居て欲しい。>
松反り しひてあれやは 三栗の 中上り来ぬ 麻呂といふ奴
(柿本人麻呂歌集 同巻9-1783)
<松の緑が変るように体が役立たずにでもなったか、そんなことはあるまいに、三つ栗の中上りして来ない麻呂という奴めは。>
(注)中上り=国司の在任中に中間報告のため上京(帰京)することが
許されていた。これを中上りという。