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偐万葉田舎家持歌集

偐万葉田舎家持歌集

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2019.11.05
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カテゴリ:銀輪万葉
​​(承前​)
 昼食を済ませて、山の辺の道に戻り、玄賓庵への道を辿る。

(玄賓庵)
 大抵はスルーすることの多い玄賓庵であるが、今回は立ち寄る。
 桓武天皇や平城上皇の病気平癒を祈願して、桓武天皇、嵯峨天皇の信任が厚かったという平安時代初期の高僧・玄賓僧都
(天平6年<734年>~弘仁9年<818年>)​が隠棲した庵と伝えられる。現在は真言宗醍醐派に属する寺院。元は桧原谷にあったが、明治初年の神仏分離令によって現在地に移されたという。
 世阿弥作の謡曲「三輪」では、玄賓庵に通って来る女性・三輪明神の化身と僧玄賓との交流が描かれている。
 ♪三輪の山もと道もなし 三輪の山もと道もなし
  檜原の奥を尋ねん
 さて、我々も桧原への細道を辿ることとしよう。
 玄賓庵から桧原神社へは杉木立の中の細い山道となるが、その入口にある滝行をするための小さな滝の前にあるのが、高市皇子の歌碑。
​​
(万葉歌碑・巻2-158)
​山吹の 立ちよそひたる 山清水
      汲みに行かめど 道の知らなく (高市皇子 万葉集巻1-158)

(山吹が美しく立ち繁っている山中の清水を汲みに行こうと思うけれど、道が分からない。)
 写真がピンボケになってしまって分かりにくいが、歌碑の方では第2句は「立ちしげみたる」と訓じている。原文は「立儀足」で「儀」を「よそひ」と訓むか「しげみ」と訓むかの違いである。
 この歌は十市皇女が亡くなった時に高市皇子が詠んだ歌3首のうちの1首である。
 十市皇女は大海人皇子(天武天皇)と額田王との間に生まれた娘。天智天皇の子、大友皇子(弘文天皇)の妃となるが、壬申の乱で夫と父親が戦うという悲劇に見舞われ、夫は敗死する。
 乱後、異母兄の高市皇子(天武の長男)は自身の屋敷に十市を引き取りその面倒をみたようだが、それが兄妹の関係であったか男女の関係であったかは当事者にしか分からないこと。この歌から二人は結ばれていたと想像する説もある。
 因みに、他の2首は以下の通り。
みもろの 三輪の神杉 已具耳矣自得見監乍共 寝ねぬ夜ぞ多き(巻1-156)
(注)この歌の第3句、4句は未だ解読されていない。

三輪山の 山辺まそ木綿(ゆふ) 短木綿(みじかゆふ) かくのみゆゑに 長くと(おも)​​ひき(巻1-157

(三輪山の山辺に掛けてある麻で作ったユフは短いユフである。かくも短いものであったのに、その命を長いものと思っていた。)
(注)木綿(ユフ)=神にささげる幣とした樹皮の白い繊維。

 桧原神社に到着。
 境内に入る手前の道端にあったのはこの歌碑。

(万葉歌碑・巻10-1814)
古の 人の植ゑけむ 杉が枝に 霞たなびく 春は来ぬらし
              (柿本人麻呂歌集 万葉集巻10-1814)

​(昔の人が植えたのであろう杉の枝に霞がたなびく春が来たらしい。)​

(桧原神社)
 桧原神社の由緒などは下掲写真でお読み下さい。

(桧原神社由緒)
​ 桧原神社から少し西に下った処にある歌碑などを見てみようと行くと、ひときわ目立つ大きな歌碑。

(大和路の恋の碑)
​ 三輪山を背景に堂々たる歌碑。
 これは初対面。新発見とも言えますかな。
 錚々たる文化人揮毫の万葉歌碑や記紀歌謡歌碑が道端の石のような地味な小さなものであるのに、演歌歌手の歌碑がその立地場所といい、大きさ、佇まいといい、いかにも立派過ぎて目立ち過ぎという気がしないでもない。
 観光の目玉として、地元の観光協会が、水森かおりのご当地ソングを歌碑にしたのかもしれないが、やり過ぎという批判もあったそうな。

(万葉歌碑・巻7-1118)​​
​いにしへに ありけむ人も 我がごとか
         三輪の檜原に かざし折りけむ
           (柿本人麻呂歌集 巻7-1118)

(昔ここに来た人も私のように三輪の桧原でかざしにする枝を折ったことだろう。)
 川端康成の碑にご挨拶していると、奥からウオーキングメジャーというのかロードカウンターというのか、輪っかのついたものをコロコロと押しながら男性がやって来られた。
 歌碑の説明などボランティア観光ガイドをなさっている男性でした。歌碑と歌碑との間の距離を測定して記録して居られるのだった。歌碑間の距離を正確に知ることによって、ご案内する観光客の案内時間の調整がスムーズになると、自発的にやって居られるようで、その熱意に感心させられました。

(古事記歌謡歌碑・川端康成筆)
大和は 国のまほろば たたなづく 青かき 山ごもれる 大和し 美し (ヤマトタケル・古事記景行記)
 この歌碑は、川端康成氏が亡くなった後であったので同夫人にお願いして、同氏の書かれた文章の原稿から該当する文字を一字ずつ拾い出して歌碑の文字としたものも。このことは何かで読んで承知していたが、その原稿というのは、同氏のノーベル文学賞受賞記念講演の原稿文であると、前記の距離測定器のボ氏からご説明を受けました。
​ 川端康成氏筆の歌碑の北側にあったのが、東山魁夷氏筆の歌碑。
 これについても、東山魁夷氏は川端康成氏を尊敬していて、歌碑を建てるなら川端康成氏の歌碑の近くがいいと、この場所に決められた、というような裏話もボ氏からのご説明で知りました​

 この歌碑は犬養万葉歌碑と同じく、万葉仮名の原文で表記されている。
 原文は「高山波・・」とあるので、香具山とは読めないから、続く文章を見ないと、三山の妻争いの歌であることに気が付かない。


(万葉歌碑・巻1-13)
香具山は 畝火ををしと 耳梨と 相争ひき 神代より かくにあるらし いにしへも しかにあれこそ うつせみも つまを争ふらしき (天智天皇 万葉集巻1-13)
(香具山は畝傍山が愛しいと耳成山と争った。神代からこのようであるらしい。だから今も妻を奪い合って争うらしい。)
​​ 妻争いの歌碑から少し北に行ったところにあるのが国文学者久松潜一氏筆の歌碑。

(万葉歌碑・巻13-3222)
みもろは 人の守る山 もとへは あしび花さき すゑへは 椿花さく うらぐはし 山そ 泣く子守る山 (万葉集巻13-3222)
(三諸の山は、人が大切に守っている山。ふもとの方には馬酔木の花が咲き、上の方には椿の花が咲く。美しい山だ。泣く子の守をするように人が大切に守っている山である。)
 この歌の歌碑は飛鳥坐神社の境内にもある。
 あちらは会津八一筆であるが、先ほどの川端康成筆と同じで、会津八一の書から文字を拾い出して歌碑にしている。
​ ところで、これらの歌碑をご案内して下さっているボ氏、歩きながらの雑談で知ったことは、ご自宅近くに「こもよ みこもち・・」の万葉集冒頭の歌の歌碑が建てられたこと、そこに万葉発祥地の碑もあったことから万葉集に興味を持ち、犬養先生の万葉ウオークに出会ってこれに参加したことなどがそれに拍車をかけ、独学で色々と万葉集を勉強されたそうな。それで退職後はそれを生かして観光ガイドをされているのだという。
 万葉冒頭の歌の歌碑、万葉発祥の地碑で思い当たったのは朝倉近くの白山神社。多分、ボ氏のご自宅は白山神社のお近くにあるのでしょう。
 面白かったのは、小生が犬養節で万葉歌を口ずさむと、同じく犬養節で追和されたこと。犬養先生の「お弟子さん」がここにも居られたのでありました。
​<参考>山の際にいさよふ雲は・・ 2011.12.27.​
 ボ氏は更にもう一つの万葉歌碑もご案内下さいました。
​ 千宗室氏筆の歌碑である。​

(万葉歌碑・巻7-1092)
​鳴る神の 音のみ聞きし 巻向の 檜原の山を 今日見つるかも
                  (柿本人麻呂歌集 万葉集巻7-1092)​

(<鳴る神の>噂にだけは聞いていた檜原の山を今日は見たことだ。)
 ​まあ、ヤカモチにとっては檜原の山はこれまでに何度となく目にしているから​、「またも見つるかな」である。しかし「見れども飽かず」ではあります。
​ 再び、ボ氏と共に桧原神社の前に戻り、そこでお礼を申し上げて右左に別れる。我々は車谷、穴師の里へ。​

(万葉歌碑・巻2-157)
 ​その道の辺にあったのが、この万葉歌碑。
 この歌は、高市皇子の「他の2首」として、上で紹介済みの歌なので、それをご参照下さい。
 写真家・入江泰吉氏の揮毫である。
 巻向川(穴師川・痛足川)に沿って、広い道を西へと下る。
 山の辺の道から外れて、箸墓古墳に回ることとする。
​ 途中にある歌碑を見て行く。​

(万葉歌碑・巻7-1269)

巻向(まきむく)の 山辺とよみて 行く水の 水沫(みなあは)​のごとし 世の人我は
                (柿本人麻呂歌集 万葉集巻7-1269
(巻向の山辺を響かせて流れ行く川の水の泡のようなものだ、世の中の我々は。)


(万葉歌碑・巻7-1087) 

痛足川(あなしがは) 川波立ちぬ 巻向(まきむく)の 弓月(ゆつき)が岳に 雲居(くもゐ)​立つらし
              (柿本人麻呂歌集 万葉集巻7-1269

(痛足川に川波が立った。巻向の弓月が岳に雲が湧き上がっているらしい。)
​​​ この歌碑の揮毫者は棟方志功氏。
 歌碑を案内して下さったボ氏は武者小路実篤氏が歌碑の揮毫を頼まれた時のエピソードをお話し下さいましたが、巻向川の川沿いにその歌碑があるとも仰っていました。
 しかし、3人で雑談しながら歩いているうちに、川沿いの道から外れた道を行ってしまい、その歌碑は見落としました。道が突き当たったところで左折、再び川辺の道に出ましたから、この間の川沿いにそれはあるのでしょう。
 因みに、その歌碑の歌はこれです。
ぬばたまの よるさり来れば まきむくの 川音かはと高しも あらしかも​き
                  (柿本人麻呂歌集 万葉集巻7-1101

​​(<ぬばたまの>夜になって巻向川の瀬音が高い。山からの吹きおろしが激しいのだろうか。)​

 この歌とあしひきの山川の瀬の鳴るなへに弓月が岳に雲立ちわたる(柿本人麻呂歌集 万葉集巻7-1088)とは小生が好きな歌でもある。
 ​​​箸墓に到着。

(箸墓古墳)
​​

​ 箸墓については、下記の過去記事をご参照下さい。​

​​<参考>銀輪万葉・奈良銀輪散歩 2016.4.20.
 箸墓は山の辺の道からはかなり西に外れている。
 先ず、景行天皇陵へと向かい、そこから山の辺の道へと戻ることに。


(景行天皇陵)

 ​景行天皇陵の裏に回ると、休憩所らしきものがあって、先客が休んで居られました。

(先客A)
「わしも山の辺の道歩いてきたぜ つかれたの!」

​​
(先客B)「ようこそ 山の辺の道ファンクラブへ
      わたし かよちゃんです よろしくネ」

 ​我々も此処で暫し休憩。
​ 健麻呂氏のカメラで、景行天皇陵を背景に、男3人揃っての記念写真を撮ったりしました。
​ 次の崇神天皇陵でウオークを打ち切りとすることに決定して、崇神天皇陵に向かう。
 コスモスが咲き群れる道を抜けて、崇神天皇陵が近づいた場所で見かけた歌碑はこれ。​

​​

(万葉歌碑・巻10-1816)
​​
玉かぎる 夕さり来れば 猟人(さつひと)の 弓月(ゆつき)​が岳に 霞たなびく
              (柿本人麻呂歌集 万葉集巻10-1816

(<玉かぎる>夕方になったので、<猟人の>弓月が岳に霞がたなびいている。)

 ​日が傾き、辺りの景色は、既に「玉かぎる」夕景色に近付こうとしているようです。
 崇神天皇陵に到着です。
 御陵の堀端には草を刈る​数名の人の姿。
 金色の落陽に照らされて草刈る人の頬が輝く。

(崇神天皇陵)

(同上)
 崇神天皇陵の前の国道169号を横断、柳本小学校と黒塚古墳のある柳本公園との間の道を南へ。黒塚古墳は三角縁神獣鏡が沢山出土し、現地説明会に大勢の人が押しかけたのはもう20年以上も前のことになるか。ヤカモチもその中の一人でした。
 道は柳本駅に突き当たる。

(JR柳本駅)
 これにて5-2=3人組ウオーク無事終了であります。(完)
<参考>山の辺の道関連の当ブログ過去記事
 三輪山登拝・大神神社から多神社まで 2018.3.27.
 銀輪万葉・奈良銀輪散歩​ 2016.4.20.
 山の辺の道銀輪散歩・桜井から長柄まで(その1) 2013.3.16.
 
山の辺の道銀輪散歩・桜井から長柄まで(その2) 2013.3.17.
 
山の辺の道銀輪散歩・桜井から長柄まで(その3)​ 2013.3.18.
 山の辺の道銀輪散歩・桜井から長柄まで(その4)​ 2013.3.19.
 北・山の辺の道銀輪散歩・鷺池から竜王池まで 2012.3.26.
 北・山の辺の道銀輪散歩・御霊神社から梅林まで​ 2012.3.27.

​ 北・山の辺の道銀輪散歩・石上神宮から南・山の辺の道へ​ 2012.3.28.
​ 南・山の辺の道銀輪散歩・永久寺跡から夜都岐神社まで​ 2012.3.29. ​
​​​​​

​ 南・山の辺の道銀輪散歩・竹之内環濠集落から奈良興福寺へ​ 2012.3.30.
 山辺の道​ 2009.2.28.






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最終更新日  2019.11.07 14:08:59
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