京都銀輪散歩(その4)
(承前) 前ページまでの銀輪散歩の前後で訪ねたその他の場所の写真もありますので、余録として、記事アップして置きます。 先ずは、哲学の道から熊野若王子神社、新島襄の墓です。 これらは、銀輪散歩ではなく、徒歩によるものです。 ヤカモチは足底筋膜炎で足の裏に痛みが生じているので、このところ長距離の歩行は困難になっているのですが、調子がよければ4~5キロ程度なら大丈夫であります。 銀輪ヤカモチ、歩きはダメなのに自転車だといくらペダルを漕いでも足裏が痛くなることはないのだから不思議です。 丸太町通りから白川通りを越えて白川を渡り、泉屋博古館の前で、鹿ケ谷通りを右に進み、最初の辻を左に入ると光雲寺という寺の門前に突き当たる。光雲寺の裏手から哲学の道に上がる。これを南へ。(琵琶湖疎水と哲学の道) 何処に行くというあてもないそぞろ歩き。桜並木が続く疎水沿いのこの道は、お花見を楽しむ歩行者でいっぱい。 南禅寺の方から流れて来る疎水分流に架かっている小さな橋の上で一人の男性が絵を描いて居られた。上の写真に写っている帽子の男性です。 絵は鉛筆によるスケッチ画であるが、桜の花盛りの景色など素敵な風景を精密な写生画に仕上げた作品が、傍らに展示されていて、販売価格が表示されているから、買い求める客にはその場で販売するということでもあるのだろう。お名前も表示されていたが、なんというお名前のお方であったかもう記憶していない。 哲学の道は、銀閣寺の方から疎水沿いに南へと下ってくる小径であるが、その南端の200m程を歩いたことになる。 哲学の道も何度か歩いているが、ブログ過去記事に哲学の道を取り上げたものは存在しないから、少なくともブログを始めた2007年4月以降、今日までここを歩いてはいないことになる。 で、別の記録を調べてみると、2006年8月27日の銀輪散歩で、銀閣寺に立ち寄った後、南禅寺まで、哲学の道を辿ったようである。 従って、15年半ぶりということになるか。 熊野若王子神社の標石が目に入ったので同神社に立ち寄る。(熊野若王子神社・標石)<参考>熊野若王子神社・Wikipedia 石標の隣の副碑には、「背後の若王子山頂には、同志社英学校(同志社大学の前身)の創立者である新島襄の墓がある。」と記されている。(同上・鳥居)(同上・拝殿)(同上・説明碑)(同上・境内の歌碑) 境内に苔むした歌碑があった。 背後の副碑の説明で、千種有功という人の歌だと知るが、勿論、存じ上げない人物である。名に高き 滝の白糸 さればこそ 花のにしきを おりいだしけれ (千種有功) 安政元年八月二十八日没とあるから、江戸時代末期の人である。 歌の意味はよくは分からないが、境内に「滝の白糸」と名付けられた桜の名木でもあったのだろうか。 第5句の「おりいだしけれ」は「織りい出しけれ」であろうか。 旧仮名表記なら「織り」も「折り」も「をり」であって、「おり」ではないと思うのだが・・まあ、副碑に記されたままに転記して置きました。 神社を出て、坂道を少し上ると、「新島襄墓登り口」という表示の立て札があった。 この2月にご逝去された元牧師の智麻呂氏は、同志社大学の神学部のご出身であり、そのご夫人である恒郎女さんも同志社、そしてわが銀輪の友である偐山頭火氏も同志社であるので、敬意を表して、新島襄の墓に参ってみるかと山道を登ってみた。(「新島先生墓此山上」の碑) すぐに、新島先生墓此山上と刻された石碑があり、同志社共葬墓地という立て札もある。 若い頃のヤカモチなら何ということもない山道、急坂道であるが、寄る年波、さすがに息が荒くなって、ハァーハァーいいながら上る。 やがて墓石の立ち並ぶ区域にさしかかるが、新島襄の墓はまだ上の方。(初代宣教師ウイリアムス監督追慕碑) 初代宣教師ウイリアムス監督追慕碑と刻まれた石碑が目にとまる。<参考>チャニング・ウイリアムズ・Wikipedia(同上) 追慕碑の全文を転記すると以下の通りである。IN LOVING MEMORY OF THE RIGHT REVEREND CHANNING MOORE WILLIAMS, D.D. WHO CONSECRATED HIS LIFE TO JAPANESE PEOPLE AS MISSIONARY AND BISHOP FROM JULY 1859 TO APRIL 1908. THIS TABLET IS ERECTED BY JAPANESE CHRISTIANS.創業ノ難ヲ排シ堅忍能ク日本聖公會ノ基ヲ奠ム 嗚呼我ガ老監督ウイリアムス美哉 日本在任五十年道ヲ傳ヘテ己ヲ傳ヘズ 一朝飄然トシテ去リ老骨ヲ故山ニ埋ム 温容彷髴追憶日ニ新ナルモノアリ 茲ニ碑ヲ建テ日夕愛慕ノ意ヲ表ス 昭和五年十一月一日 日本聖公會 有志者 更に少し上ると、ようやく新島襄の墓である。妻の新島八重の墓と並んでいる。(新島襄の墓<中央>と妻・八重の墓<左側>)(新島襄の墓)<参考>新島襄・Wikipedia 新島八重と言えば、何年か前の大河ドラマ「八重の桜」で、銃を手に会津で官軍と戦っていた姿が印象に残っているが、桜三昧京都銀輪散歩のついでに「八重の桜」にお参りというのも悪くはないかと思う。 もっとも、八重さんのお墓に桜は咲いておりませんでしたが。(新島八重の墓)<参考>新島八重・Wikipedia(新島襄の墓碑説明板) 次は、岡崎神社。 まあ、これは前を通り過ぎただけでありますが。(岡崎神社)<参考>岡崎神社・Wikipedia(同上・拝殿) この神社は平安遷都に際して都を鎮護するため平安京の四方に建てられた社の一つとされ、都の東にあることから東天王とも呼ばれたとのこと。 この付近の地名、東天王町はこの神社に由来するものである。(同上・由緒) そして、最後は、帰り掛けに立ち寄った東寺です。(東寺)<参考>東寺・Wikipedia(同上・手前が不二桜、奥が五重塔)(同上・金堂)(同上・本坊、右が大師堂)(同上・大日堂)(同上・大師堂<御影堂>)(同上・大師堂と桜)(司馬遼太郎の碑) 司馬遼太郎氏は、京の寺々を歩くには東寺の境内を出発点にするのがふさわしい、と言っておられますが、ヤカモチはその逆で、今回ゴールの寺に選んだことになる。これも亦ふさわしい・・のではないか(笑)。(同上・門前の言葉)珠を持てば善念を生じ、剣を把れば殺心の器 プーチンさんもよくよくこのことを考えて欲しい。(同上・講堂)(同上・講堂と五重塔)(同上・北門)(同上・五重塔) 東寺は、やはり五重塔ですね。(同上・五重塔と桜) 桜の頃はさらなり。花越しに見上ぐるはさらにも・・であります。<参考>東寺の桜は下記記事をご覧ください。 墓参・花散歩と桜三昧 2022.4.5.(同上・桜越しの五重塔) 境内の洛南会館の前庭に、会津八一の歌碑がありました。(会津八一歌碑)たちいれば くらきみだうに 軍荼利の しろききばより もののみえくる 歌碑の上と下に、さりげなく雀の遊ぶを見れば、ヤカモチは、たちいりて 八一の歌碑を 撮り見れば 上にも下にも 雀見えけるであります。(同上・歌碑裏面)(同上・九条大宮交差点と五重塔) 以上で京都銀輪散歩終了であります。(完)<参考>銀輪万葉・京都府・滋賀県篇の過去記事は下記参照。 京都府・滋賀県篇(その1) 京都府・滋賀県篇(その2)<参考>フォト蔵写真アルバム・2022.04.02.京都桜三昧銀輪散歩#UKRAINEWe stand with Ukrainians.(STOP PUTIN STOP WAR)