カテゴリ:智麻呂絵画展
第214回智麻呂絵画展
今回は出展作品6点と少ないのですが、智麻呂絵画展を開催させていただきます。 今回の6点によって、当絵画展に登場の智麻呂絵画総数は1978点となります。2000点までアト22点。2000点到達の際は「2000点到達記念絵画展」を計画して居りますので、ご期待下さい。 <参考>過去の智麻呂絵画展は下記から。 第1回展~第100回展 第101回展~第200回展 第201回展~ フォト蔵の智麻呂絵画集アルバムはコチラ。 では、どうぞごゆるりとご覧下さいませ。 先ずは、秋篠寺です。 (秋篠寺) 次回の若草読書会では、偐山頭火氏のご担当にて、五木寛之著「百寺巡礼」第1巻奈良編(講談社文庫)を取り上げることになっている。 この秋篠寺も同書で取り上げられている。 偐山頭火氏はレジメを作成するに当たり、この絵の写真をレジメに挿入したいということで、原画を持ち帰られたようで、ヤカモチ館長がこれを撮影できなくては困るだろうと、同氏撮影の写真をメールに添付して送って下さいました。それが上の写真という訳であります。 秋篠寺は、中学時代の担任の先生(故人)が一時その近くに居所を構えられ、その引越しのお手伝いに同級生と出向いたこともあるなど、身近な寺であるが、五木氏は「市井にひっそりとある宝石のような寺」と形容して居られる。 この寺の創建については、一説では、奈良時代末期に、光仁天皇を呪詛したという言いがかりの罪を着せられ、その皇后であった井上内親王とその子・他戸皇太子が、廃后・廃太子の処分を受け、殺されてしまうという悲劇的な事件があったが、この井上内親王の鎮魂のために建てられたのだという。 この事件により山部親王が皇太子となり、桓武天皇となるのだが、この筋書きを演出したのが藤原百川やその兄である藤原良継だと思われる。 この事件と秋篠寺とのつながりのことは存じ上げなかったが、境内にある会津八一の歌碑のことは夙に存じ上げて居りました。 あきしのの みてらをいでて かへりみる いこまがたけに ひはおちむとす (会津八一) おぞましき かこをひめつつ あきしのの みてらのこけに ひはてりをどる (偐家持) 次は、ヒメサユリの花。 (ヒメサユリ) この絵の由来は?と恒郎女さんにお尋ねすると、「ヤカモチさんがお持ち下さった写真から」というお答え。 ヤカモチが新潟県三条市高城のヒメサユリの群落を訪ねたのは2016年5月25日のことであるから、もう3年半も前のこと。 <参考>ヒメサユリの小径 2016.5.29. どうやら、絵の題材に事欠いて、昔の写真などを引っ張り出して、絵を描いている、というのが恒郎女さんの弁。 そのような事情を覗わせるのが次の絵。お土産などで頂戴したお菓子の包装紙の図柄が絵になっていました。 (川崎銘菓・惣之助の詩) これは、ご友人の五〇さんからの戴き物のお菓子の包装から。 そして、次が恒郎女さんのお姉様からの戴き物のお餅の包装から。 (高野山やき餠) こういう絵も、絵画展の彩りとなり、見る目を楽しませてくれるので、ヤカモチ館長としては歓迎ではありますが、ご来場の皆さまのお茶菓子にどうぞ、と口先ばかりの「おもてなし」も可能ということで重宝なのであります。まあ、少し休憩して行きなされ。 次はフォックスフェイス。 (フォックスフェイス) 和名はツノナス(角茄子)。キツネナス(狐茄子)とも呼ぶようだ。 これは、智麻呂さんが、通って居られるデイサービス施設で行われている毎月恒例の「お買い物デー」の際に、ご自身で買い求められたものとのこと。絵の題材不足を自ら補充されたという訳である。 最後は果物。静物画の定番ですな。 (林檎と蜜柑) これも、絵の題材不足に些か関係するのかも知れませんが、恒郎女さんにお願いして、買い置きの林檎と蜜柑を目の前に並べて貰って写生されたものであるのでしょう。 以上、6点です。現在制作途中の白菊の絵の完成を待っての絵画展開催をと考えたりもしましたが、最低開催基準7点という偐家持美術館の内規に照らせば、1点作品数が足りていないとは言え、例外のない規則はないということでもありますので、諸般事情を勘案し、本日の開催となった次第。 今日もご来場、ご覧下さり、ありがとうございました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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