カテゴリ:近隣散歩
明日から大相撲初場所が始まる。
大阪での大相撲は3月の春場所。難波の大阪府立体育館で開催されるのであるが、初場所は、東京・両国の国技館で開催である。 今は、国技館と言えば、両国のそれであるが、かつては大阪にも国技館があったということを、近隣銀輪散歩の「徘徊」で知ることとなったので、それをご紹介申し上げます。 全て、昨年の銀輪散歩で撮影した写真であるので、年明けに駆け回った訳ではありません。 先ず、天王寺にあった国技館。 (大阪国技館跡の碑) 場所は下掲の地図の通りです。 (大阪国技館跡の碑・所在位置)<参考>大阪国技館・Wikipedia スパワールドの北側にひっそりとそれはある。 1919年(大正8年)9月から1925年(大正14年)まで大阪相撲の興業がここで行われたとのこと。 1927年(昭和2年)東西の相撲が合併し大日本相撲協会が設立され、相撲興業の中心は両国国技館となり、ここでの相撲興業が行われなくなる。その後は映画館などとして建物は存続するが、第二次大戦前には解体されたようだ(現地碑文)とある。一方、1945年(昭和20年)の大阪大空襲で焼失したとするもの(Wikipedia)もあって、詳細はイマイチよくは分らない。 これとは別に、1937年(昭和12年)3月から1941年(昭和16年)戦争で中断するまでの間、大相撲の興業が行われた大阪大国技館(別名:大阪関目国技館)というのがあったということなので、その跡地を訪ねてみた。 (大阪大国技館跡の碑・位置図) 現在は、リビエール関目というマンションになっていて、城北川沿いの遊歩道脇に跡地の碑がある。 (大阪大国技館跡の碑) ご覧のようなマンションが建っていて、国技館跡地であることを思わせるものは、上の碑のほかには何もない。 (リビエール関目・5号棟) (同上・5号棟<左>と4号棟<右>との間の中庭) ところが、如何なる用途かは定かではないが、中庭の北西隅にある構築物の鉄扉の中央にあしらわれているデザインが、気のせいか国技館を思わせるものになっているのに気が付きました。 尤も、下記の建物模型と比べるとちょっと違う気もするので、何とも言えないのではある(笑)。 (扉のデザインが国技館っぽい) 碑文を読むとこの大阪大国技館の模型が城東区役所のロビーに展示されているという。 ということで、城東区役所にも行ってみる。 (城東区役所位置図) (大阪大国技館復元模型) (同上) (同上) 今はなき大阪の国技館でした。 両国の国技館は昨年4月の東京銀輪散歩の折に偶々その前を通過、写真を撮っていますので、これを再掲載して置きましょう。 (両国国技館) ついでに、今はない蔵前国技館の写真も。 (蔵前国技館・Wikipediaから転載) これは、国技館に関係ありませんが、昨年の囲碁例会の帰途に見掛けた相撲関連の碑です。 (勧進相撲興行の地碑) (同上・副碑) この碑のある場所は、南堀江公園。地図で場所を示せば下掲の通り。 (南堀江公園位置図) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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