友人から電話があって、話をしている中で、このところブログの更新が無いが、どうしたのかという話になった。
別に、どうもしていない、ネタが無いだけと答えたが、ネタが無いからと何日も更新しないでいると、「何かあったのか」というご心配をお掛けするというか、不審を招くようであります(笑)。
さりとて、ネタが無ければ記事の更新も出来ない相談、ということで、無理矢理に記事を書いてみることに。
年賀状に万葉集などから新年に相応しいと思われる歌を記すというのが、ここ何年かのわが年賀状のお決まりのパターンである。
で、過去の年賀状に取り上げた歌を羅列してみようと思い立ったものの、気が付けば、もう分からぬこととなっている年度も多くあることに気が付きました。
わかる範囲で書き留めれば以下の通りである。
1994年
新しき 年の始の 初春の 今日ふる雪の いや重け吉事
(大伴家持 万葉集巻20-4516)
(因幡国庁跡の4516番歌碑)
※鳥取銀輪散歩・因幡万葉の里へ(2011.10.28.)からの再掲。
この歌の歌碑の写真は、次の記事にも掲載されています。
氷見銀輪散歩(1)・家持歌碑めぐり(2012.11.7.)
1995年
新しき 年のはじめに 豊の年 しるすとならし 雪の降れるは
(葛井諸会 万葉集巻17-3925)
1996年
あたらしき 年の始に かくしつつ 千年をかねて たのしきを積め
(古今和歌集巻20-1069)
1997年
不明
1998年
新たしき 年の初めは 弥年に 雪踏み平し 常にかくにもが
(大伴家持 万葉集巻19-4229)
1999年
不明
2000年
不明
2001年
霞立つ 春のはじめを 今日のごと 見むと思へば 楽しとぞ思ふ
(大伴池主 万葉集巻20-4300)
2002年
山の際に 雪は降りつつ しかすがに この河楊は 萌えにけるかも
(万葉集巻10-1848)
2003年
時は今 春になりぬと み雪ふる 遠山のべに 霞たなびく
(中臣武良自 万葉集巻8-1439)
2004年
睦月立つ 春の始めに かくしつつ あひし笑みてば ときじけめやも
(大伴家持 万葉集巻18-4137)
2005年
うちなびき 春来たるらし 山のまの 遠き木末の 咲き行く見れば
(尾張連 万葉集巻8-1422)
2006年
父の喪中
2007年
不明
2008年
不明
2009年
風まじり 雪は降りつつ しかすがに 霞たなびき 春さりにけり
(万葉集巻10-1836)
2010年
不明※下記の歌かもしれない。
昨日こそは 年は極てしか 春霞 春日の山に はや立ちにけり
(万葉集巻10-1843)
2011年
不明※下記の歌かもしれない。
浅緑 染めかけたりと 見るまでに 春の楊は もえにけるかも
(万葉集巻10-1847)
2012年
不明※下記の歌かもしれない。
山の際の 雪は消ざるを みなぎらふ 川の楊は もえにけるかも
(万葉集 巻10-1849)
2013年
あしひきの 山の木末の 寄生とりて 插頭しつらくは 千歳寿ぐとぞ
(大伴家持 万葉集巻18-4136)
2014年
不明
2015年
不明※下記の歌かも知れない。
たまきはる 命は知らず 松が枝を 結ぶ心は 長くとぞ思ふ
(大伴家持 万葉集巻6-1043)
2016年
不明 ※下記の歌かもしれない。
門ごとに 立つる小松に かざられて 宿てふ宿に 春は来にけり
(西行 山家集上春5)
2017年
母の喪中
2018年
ほのぼのと 春こそ空に 来にけらし 天の香具山 かすみたなびく
(後鳥羽院 新古今和歌集巻1-2)
2019年
袖ひちて むすびし水の こほれるを 春立つけふの 風やとくらむ
(紀貫之 古今和歌集巻1-2)
2020年
いつしかと 春来にけりと 津の国の 難波の浦を 霞こめたり
(西行 山家集8)
次の歌も過去に使用した記憶があるが、何年のことかは定かではない。
上の不明とある年度のどれかに該当するのだろうと思う。
初春の 初子の今日の 玉箒 手に執るからに ゆらく玉の緒
(大伴家持 万葉集巻20-4493)
<追記>
年賀状と言えば、ブロ友となった後に、ご縁があって、年賀状を交換することになったお方が何人か居られます。そんな中のお一人で、2012年5月7日の記事を最後にブログの記事更新をお休みされている木の花桜さんから年賀状を頂戴しました。賀状によると、別の分野でお元気にご活動されているようで、何よりと嬉しいことでありました。