カテゴリ:万葉
「雪の万葉歌」短歌111首を書き出すということをしていて、気付いたことがあります。
今月2日の若草読書会で、梅花の歌32首とその序文を話題ににしたことは、既述の通りであるが、この宴が行われたのは天平2年正月13日(730年2月4日)のことである。 天平に改元されたのは、神亀6年(729年)8月5日のことであるから、天平2年の正月というのは、天平に改元されて初めての正月であったのだということでした。 令和に改元されて初めての正月が今年の正月であったのだから、令和2年の正月と天平2年の正月は、その点でも共通しているということ。 まあ、改元が年の途中で行われると、その元号の下での最初の正月が新元号2年のこととなるのは当たり前のことであるから、これに気付かなかったというのは不正確で、そのことに思いが至らなかった、と言うべきか。笑止のことであります。 時すでに梅の花も多くは散り出しているが、今頃になってこんなことを言い出しているのは間の抜けたことである。しかし、間抜けついでに、遅まきながら、梅花の歌32首の序文を、ブログに書きとどめ、今後の資料とでもして置くか。 <梅花の歌32首の序文(万葉集第8巻)> 天平二年正月十三日、帥老の宅に萃まり、宴会を申ぶ。時に初春の令月、気淑しく風和らぐ。梅は鏡前の粉に披き、蘭は佩後の香に薫る。加以、曙の嶺に雲移りて、松は蘿を掛けて蓋を傾け、夕の岫に霧結びて、鳥は縠に封されて林に迷ふ。庭に新蝶舞ひ、空に故雁歸る。ここに於て、天を蓋にし、地を座にし、膝を促け觴を飛ばす。言を一室の裏に忘れ、衿を煙霞の外に開く。淡然として自ら放にし、快然として自ら足る。若し翰苑に非ざれば、何を以てか情を攄べむ。詩に落梅の篇を紀す。古今それ何ぞ異ならむ。宜しく園梅を賦して、聊かに短詠を成すべし。 <参考>太宰府銀輪散歩(4)・大野山霧立ちわたる 2015.1.17.
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