カテゴリ:近隣散歩
本日は、銀輪散歩で出くわした石塔と古墳です。
たまたま、出くわしたというのではなく、枚岡神社の参道脇に設置されているこの看板で見つけて、銀輪散歩のついでに立ち寄ったものであります。 (東大阪市文化財ハイキングコース案内看板) と言っても、分からないでしょうから、先ず、上の写真をクリックしていただくと、大きいサイズの写真が別窓で開きます。更に、元画像サイズを選択いただくとより大きなサイズ写真になります。その写真のやや左寄り中央に石切剣箭神社があるかと思いますが、その下方に塚山古墳と観音寺という文字が見えると思います。 この二つについては、何の知識もなかったので、訪ねてみようと予てより思っていたこともあって、昨日(14日)の銀輪散歩のついでに立ち寄ってみることとしたのでありました。 先ず、観音寺です。 (花國山観音寺・本堂) 融通念仏宗のお寺のようです。 山号は花國山。平野大念仏寺の末寺。 本尊は、阿弥陀三尊来迎図(1639年<寛永16年>作)とのことだが、当山中興の元興上人の手になる千手観音菩薩像と33体の観音菩薩像が併せ祀られていることから、観音霊場の寺院でもあるようで、寺の前には「河内西国二十七番霊場」という看板が掲示されている。 詳しいことは下記<参考>をご参照下さい。 <参考>花国山観音寺・大阪再発見 第二十七番 花国山観音寺・Pilgrim東西南北巡礼記 門を入ったすぐ右手に、市の有形文化財に指定されている石造十三重塔がある。写真をご覧いただいてお分かりのように、2枚分の屋根石が欠落していて、現状は十一重石塔となっている。 (同上・石造十三重塔) 永仁2年(1294年)建立の石塔とのことである。 (同上・説明碑) この寺の北側の路地を東に入って行くと、民家に囲まれた中に、塚山古墳がある。 まだ、発掘調査はされていないようで、現地説明碑のようなものは何もないが、5世紀後半から6世紀前半頃にかけて築造された可能性のある円墳らしい。 (塚山古墳) ネット検索すると「東大阪市埋蔵文化財発掘調査概報・平成21年度」というのが見つかった。 (東大阪市埋蔵文化財発掘調査概報) ※クリックして大きいサイズの写真でお読み下さい。 (同上・第5章 塚山古墳の現況測量) (同上) (同上・東大阪市の遺跡分布図) (同上・測量図) ※上の写真の左上に表示の通路を左から入って来て、通路を挟んでお向かいのお家の玄関先から撮影したのが、6枚上の「塚山古墳」とあるカラー写真です。 (同上・上空からの写真) 上空からの撮影は無理なので、墳丘に登ってみた。 (墳丘上・南西方向) (同上・北東方向) ただ、草が繁茂しているだけ。 何もない。当然ですな。 ぐるり見回してみると、こんな眺望です。 (墳丘上からの眺め・南東→南→西→北方向) (同上・北→東→南東方向 後方は生駒山。) 古墳に隣接する民家の飼い犬たちが「怪しい奴」と盛んに吠え立てる。 確かに「怪しい奴」には違いないヤカモチなので、仕方がない。 長居は無用。早々に退散でありました。 馴染みの喫茶店・ペリカンの家に近いので、立ち寄って珈琲休憩。 見覚えのある自転車・ブリジストン君が駐輪してあったので、冨麻呂氏が来て居られるのだな、と思いつつわが愛車のMTBを店の前に駐輪していると、店のドア横の喫煙ベンチの方から「お久しぶりです。」との声。冨麻呂氏であった。同氏や店主ももの郎女さんとそのご亭主のもも麻呂氏らと少しばかり雑談して店を出る。 花園中央公園に立ち寄って、野の花の写真を少しばかり撮って帰途に。 先日、ヌートリアを見かけた三六橋の上から恩智川をのぞき込むと、またまたヌートリア君が泳いでいた。すぐにセイヨウカラシナの藪の中に隠れてしまったが、どうやら彼は「通りすがり」の旅ヌートリアではなく、この一角を棲み処とする定住ヌートリア君のようです。 彼も緊急事態宣言未解除の大阪府民とあって、遠出は自粛、近所を徘徊のヤカモチ同様に、持て余し気味の日々を送っているようであります。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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