偐万葉田舎家持歌集
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近隣散歩の公園(その1) 近隣散歩の公園(その2) 自宅から片道20km程度或いは30km程度の範囲内を銀輪散歩というのが「近隣散歩」というカテゴリーの記事である。人間の行動というのは、パターン化しやすいもののようで、何度も走っているうちにその銀輪散歩コースというのも似たようなコースの繰り返しになって行くようである。そうなると、新しく記事ネタとなるものに出くわすということもだんだん少なくなって行く。 そんなことで、まことに安易な思いつきでありますが、近隣散歩の範囲内にある公園などを写真で紹介するという記事もありではないかと始めたのが「近隣散歩の公園」という記事であります。 今日は、その第3弾の記事という訳であります。 各場所の自宅からの距離を記載していますが、自宅からの通常の道順で走った場合の距離を地図上で目測したもので、直線距離ではなく、道順次第ではその数値は異なります。また、かなりアバウトな目測でありますのでその正確性については保証の限りではありません。 そもそも、ヤカモチの自宅の場所を何処とも明らかにしていないので、「自宅からの距離」などという設定は、お読みになるお方には意味のない数値であり、その正確性などはどうでもいいことである。 1.池島弥生橋:4km(自宅からの距離、以下同じ。) (池島弥生橋) 近隣散歩の公園(その2)の記事で、池島弥生橋の上から撮影した左右の遊水池公園の写真を紹介しましたが、弥生橋そのものの写真は掲載していませんでしたので、今回掲載することとしました。 (同上 第二寝屋川畔<北西側>から撮影) 池島弥生橋の北側の恩智川から分流して西方向に流れている川が第二寝屋川。中央環状道路付近で北西向きに流れ、大阪城公園の北側で寝屋川と合流し、天満橋の東側で大川(旧淀川)となる。 この第二寝屋川沿いを西に走ると、木村重成の墓がある公園に至る。 幸町6丁目公園である。 2.幸町6丁目公園:5.2km (幸町6丁目公園 木村重成の墓がある。) (木村重成墓説明碑) 木村重成墓については、下記<参考>記事で紹介していますので、ご参照ください。 <参考>若江岩田から八尾山本へ(上) 2010.5.6. 3.幸町3丁目第2公園:5.5km (幸町3丁目第2公園) 上の幸町6丁目公園から南へ走ると、幸町3丁目第2公園と幸第2公園である。 下記の<参考>記事では、幸町3丁目公園を「西郡公園」と紹介しているが、先日再訪したら、入り口付近に「幸町3丁目第2公園」という銘板石碑が設置されていましたから、これが正しい名前なんだろう。 <参考>若江岩田から八尾山本へ(下) 2010.5.7. 4.幸第2公園:5.5km (幸第2公園) 幸第2公園から南へ走ると、桂中学校と桂小学校の間に桂公園野球場がある。 5.桂公園:5.6km (桂公園・野球場) 南側が野球場で申し訳程度に狭い緑地が北側にあるが、これが桂公園なんだろう。 (桂公園) 参考までに、当記事に登場の公園の位置を地図に示して置きましょう。 (公園位置図) (同上) 6.山本北第2公園:4.8km (山本北第2公園) 7.三十八神社(八尾市福万寺):4.5km (三十八神社・八尾市福万寺) 公園ではありませんが、福万寺地区で出会った神社です。 (同上) (同上・由緒) 三十八神社は各地にあるようですが、祭神などは色々のようです。 もともとは、ミツハノメ(イザナミの尿から生まれた女神で、水神、五穀豊穣の神。)を祀る神社であったのが、三十八(ミトヤ・ミソヤ)という名の由来ではないかと思ったりするが、どうなんでしょう。 弥都波能売(ミツハノメ)→ミツハ→ミトヤ、ミソヤ。 <参考>奈良県榛原の三十八神社掲載の記事 中学時代の級友と大宇陀万葉ウオーク下見 2017.11.10. 弥都波能売神社掲載の記事 多神社から王寺駅まで 2018.3.28. 南北朝時代には、この地には福万寺城があったらしいが、神社そのものの創建については不明とのこと。 (同上・神社前の「条里割遺構」の説明碑) 東大阪市西岩田にも三十八神社があることを知ったので、訪ねてみることとしました。 (西岩田三十八神社位置図) 8.西岩田三十八神社(東大阪市西岩田):4.2km (西岩田三十八神社) 八尾市福万寺の三十八神社と関連があるのかどうかは存じ上げぬが、顕彰碑によると、この地は三十八神社の宮地として村人達によって維持管理されて来たらしい。老朽化した祠があったのだろうと思うが、平成8年、現在の形に社殿が整備されたようです。 (同上・顕彰碑) (同上・社名標石) (同上・祭神) 祭神は、福万寺の三十八神社と同一です。 9.石田神社:4km 西岩田の三十八神社の手前にあるのが石田神社。八幡神社であるから、祭神は応神天皇である。 西岩田三十八神社も応神天皇を祀るから、石田神社との関連も気になるところである。 (石田神社) 石田神社は、以前立ち寄って記事にしていますので、下記<参考>記事をご参照ください。 万葉に登場する「石田の杜」は京都・山科の神社であって、この石田神社とは関係ありません。 <参考>石田神社掲載の過去記事 殉展そして銀輪散歩 2012.9.26. 石田の杜関連の記事 友人とランチのち銀輪散歩・石田の杜 2013.10.4.
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プロフィール
けん家持
養老2年(718年)の生まれゆゑ、年令1306才(養老元年生れ説だと1307才)。銀輪歌人、偐家持(ニセヤカモチ)。若草の里の読書会に屯しています。時に「まっ黒の走子」。時に「偐定家」。時に「筆蕪蕉(不精者)」であります。また、時々は偐家持美術館のヤカモチ館長でもあります。自転車(銀輪)であちらこちらを気ままに散歩し、花を愛でたり、虫と遊んだり、万葉調の歌(と言っても大抵は戯れ歌)などを作ったりしています。
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